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 もう一つの危機感が社内に潜む油断だ。最近、浅田会長が感じているのは失敗が少ないことと、タネがなかなか育たないことだ。「挑戦にはリスクがつきもの。リスクを恐れてはいけない。これまでもガムやせんべいなど多くの失敗を重ねてきたが、飛び込まなければ何も生まれない」という浅田会長にとって、失敗の少なさはそもそも挑戦が足りない、と映る。

 典型例が冷凍和菓子だ。共働きの増加など社会構造の変化、加えて添加物が少なくて済むという健康面の利点もあり、冷凍食品の需要は伸びている。また訪日外国人の増加で和菓子人気も一段と高まっている。アイスの取り扱いで冷凍食品の開発技術や販路は既に持ち合わせ、しかも和菓子は得意分野のはず。井村屋にとってこんなに好条件がそろっているのに、冷凍和菓子に本格的に取り組まないことが浅田会長には物足りない。

 「マーケティングに勇気が足りない。冷凍和菓子しか売るものがなければ必死で頑張るのだろうけど、あずきバーなどほかの商品でバックグラウンドがあるから楽をして挑戦しない。これだとゆでガエルになる」と危惧する。

 これまでとは次元の違う刺激、変化、挑戦を促さなければいけない時期に来た。その象徴が中島新社長の指名だったというわけだ。

「アンナミラーズ」実は井村屋 

 これまでの井村屋にとって、最大の挑戦と言えるのはアメリカンレストラン「アンナミラーズ」だ。「いつまでもようかん、あずきだけでやっていけるとは思えない」という井村氏の意向を受け、若かりし浅田会長が米国に飛び交渉、1973年に実現にこぎ着けた。

 今は品川駅前の高輪店(東京・港)の1店舗だけだが、多いときは20店以上を展開し、ウエートレスの特徴あるコスチュームや珍しいパイのメニューがトレンディーだと一世を風靡した。

 外食事業は未経験だったが、お菓子のパイを作っていたためパイを焼く技術はあった。自分たちが持つ技術を活用して新しいものに挑戦するというのが創業以来の井村屋の手法だ。

 ただアンナミラーズは成功した、とは言い切れない。赤字店舗を次々に閉鎖し、今残るのは黒字の高輪店のみ。浅田会長は「個性をしっかりと認識して店舗展開をできなかった」と振り返る。

 当時のファミリーレストランはみな、低コストで出店できることもあり郊外へ郊外へと出店を続け、アンナミラーズもはやりに乗って同じ戦略を取った。だが「ファッショナブルなお店は家から気持ちを高めて出てくる都心に出すべきだった。郊外は家に帰っていくところ。人も少ない」ことで採算が取れない店舗が続出した。

品川駅前に唯一残っているアンナミラーズの高輪店。ウエートレスの明るく特徴的なコスチュームは、今でも根強い人気を誇っている

 とはいえアンナミラーズを手掛けたことを後悔はしていない。「これからに生きる経験。それに井村屋が新しいことに取り組んでいるというシンボルでもあった」。今後、集客が見込める立地があれば再出店も検討するという。

 一気呵成に新たな挑戦にも取り組む。中島新社長と並ぶもう一つの挑戦の象徴が、4月1日に立ち上げた井村屋スタートアッププランニング(I-SUP)という新会社だ。業務内容は将来の柱となる新規事業の企画、事業化。新たな挑戦をする部署どころか、会社を丸ごと新設した。しかも社長には3月まで井村屋グループの社長だった大西安樹氏を充てるという力の入れようだ。

日経ビジネス2019年8月12日号 64~68ページより目次