年間2億7500万本を売る「あずきバー」などロングセラー商品を多く抱え、業績を伸ばしている。明治29年(1896年)創業の老舗企業ながら、時代に合わせた新商品と新規事業への挑戦を成長の原動力とする。今年4月にはアルバイト出身の中島伸子氏が社長に就任。創業の精神を次世代につなぐ役割を担う。

<span class="fontBold">「あずきバー」の生産工程(上)と、あずきバーに次ぐヒット商品になりつつある「やわもちアイス」の生産ライン(右、ともに三重県津市の本社工場)</span>(写真=右下:上野 英和)
「あずきバー」の生産工程(上)と、あずきバーに次ぐヒット商品になりつつある「やわもちアイス」の生産ライン(右、ともに三重県津市の本社工場)(写真=右下:上野 英和)

 2019年4月1日、三重県津市に本社を置く和菓子メーカー、井村屋グループの社長に中島伸子氏が就任した。その経歴はとにかく異色だ。

 短大を卒業して結婚した後、自宅から近かった井村屋の福井営業所でアルバイトを開始、経理などの事務や社員の営業への同行に加え、トラックを運転しての配達業務なども経験した。学生時代は教師を目指していたため経理の知識はなにもなかったが、経理の夜間学校に通い猛勉強した。

 その後、登用試験を経て正社員となり、3人の子供を育てながら着実に昇進。北陸支店勤務時には、寝坊して高校生の息子のお弁当のおかずが生野菜にマヨネーズをかけただけになり、帰宅した息子から「今日が一番豪華な弁当やった。同情した友達がエビフライやハンバーグをくれたから」と言われへこんだこともある。

 今でこそ子供を育てながら正社員としてフルタイムで働く女性は増えてきた。だが中島氏のころにはまだ極めてレアケース。子供を持つ働く女性が抱える悩みや出来事をすべて乗り越えながら、最後は上場企業のトップに上り詰めた格好だ。

 中島氏を後継社長に指名したのは元社長の浅田剛夫・現会長CEO(最高経営責任者)。「トップは男女、国籍、ハンディキャップを抜きにして、多様性の中から選ばれるべき。今、一番社長にふさわしい人間を選んだら中島だった。決して女性活躍推進で選択したわけではない」と話す。

 浅田会長が期待するのは、これまで前例がない道を走り続けてきた中島氏の「挑戦する力、変化する力」だ。それこそが井村屋のトップに求められる資質だからだ。浅田会長は「変わることが継続につながる。変わらなければ継続すらかなわず衰退する。当社が老舗として生き残ってきたのは、変わり続けてきたから」だと信じる。

ロングセラーなのにまだ伸びている
●あずきバーの販売本数
ロングセラーなのにまだ伸びている<br /><spna class="fontSizeXS">●あずきバーの販売本数</span>

 創業してからすでに120年以上がたつ井村屋。実質的創業者とも言える故・井村二郎氏があずきを中心とした食品メーカーとして本格的な礎を築いた。その井村氏は「経営は変化対応業」「やらなかったらヒット商品は出てこない」という言葉を残している。

 その象徴と言えるのが、井村屋の代名詞とも言える主力商品に育った「あずきバー」だ。18年、あずきバーの販売本数は過去最高の2億7500万本を記録した。1973年発売の超ロングセラー商品でありながら、いまだに売り上げを伸ばし続けている。

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