業種にこだわらず、売れるものは何でも売る 成長の限界をつくる制約を外すのが経営者の務め

(写真=岡崎 利明)
(写真=岡崎 利明)

 1952年に大学を卒業して阪田商会(現サカタインクス)に入りました。新聞用インキで国内トップでしたが、「これからは輸出や」と上司に進言し、市場調査のために東南アジアに40日ほど行かせてもらいました。特に印象的だったのがフィリピンで、マニラ湾沿いに立ち並ぶナイトクラブは当時貧しかった日本とは比べものにならないほど華やかでした。だからここで仕事しようと決意しました。

 インキの世界市場は当時2兆円ほど。独占したって2兆円しかないインキだけに人生を懸けるのはばからしい。そう思って目を付けたのがエレクトロニクスでした。当時は街頭テレビが出てきた頃で、無限の可能性を感じました。テレビ自体の輸出は大手商社が独占していたので、インキと同じようにビジネスに継続性がある電子部品をやろうと。そこでまず松下電器産業(現パナソニックホールディングス)を説得して、フィリピンでの販売権を獲得。これが後にサカタから独立して立ち上げたシークスの始まりです。

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