
1980年に日本専売公社(現日本たばこ産業)に入社して以来、海外に2度赴任し、計12年間仕事をしました。その際に目の当たりにしたのが人材の多様性が組織にもたらす威力でした。
最初は89年から7年間の米国勤務。抗HIV薬を共同開発していた現地のスタートアップには世界から優秀な研究者が集まっていました。経営陣は、優れた成果は異なる専門分野の研究者の交流から生まれると考え、研究施設の配置に工夫を凝らすことはもちろん、毎週金曜日夕方に屋外で懇談し、お互いの家族のことなどを話す場を設けていました。
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