
振り返れば、これまでに日米6社を渡り歩いたことになります。未知の技術やビジネスに挑戦し続けることで、自らが成長し道を切り開けると感じています。
最初に勤めたのは日立製作所。メインフレームを開発した後、米ヒューレット・パッカード(HP)と共同でCPU(中央演算処理装置)を開発するプロジェクトに送り込まれましたが、非常に難航しておりストレスで胃潰瘍になりました。医者は「人生はなるようにしかならない」と一言。確かにそうだと開き直りどんどん提案するようにしたところ、徐々に意見を取り入れてもらえるようになりました。
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