(写真=陶山 勉)
(写真=陶山 勉)

 哲学者になろうと思っていましたが、大学院入試の口頭試問で落ちて夢を断たれました。就職先がなく途方に暮れていた私を拾ってくれたのが、三井生命保険(現・大樹生命保険)です。1983年、26歳の時に「英語ができる」という理由で英国に赴任することになりました。サッチャー元英首相が、金融規制改革「ビッグバン」をスタートする前夜。いわば首都ロンドンを米ドルの金融センターにする大胆な改革です。日々金融機関が合併し、各国の人材がロンドンに集結、銀行はこぞって証券子会社を設立しました。その渦中に身を置き「これからの金融の中心は資産運用だ」と確信しました。

 当時の大蔵省(現・財務省)は銀行の護送船団方式を維持し、十分な規制改革を行いませんでした。情報格差によって規制される側が実質的に規制者を支配する「規制のとりこ」に陥っていたのかもしれませんが、グローバル化の機会を失いました。

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