(写真=稲垣 純也)
(写真=稲垣 純也)

 祖父は新聞記者を経て満州鉄道の調査部に勤め、中国の軍閥を担当しました。父も中国で働きましたが、戦後、家族一同日本に引き揚げました。母は「日本は中国を侵略した。私たちは今や敗戦の民。でもその時、中国の人々は優しくしてくれた」と感謝していました。一面焼け野原の東京の街角を、スチュードベーカー、リンカーンなどの“アメ車”が席巻していました。図鑑で覚え、車名をそらんじて言えました。進駐軍からあめ玉をもらい、米国の脱脂粉乳で育ちました。

 大学時代に中国語を学んでいた時、エドガー・スノーという米国人ジャーナリストが、中国・延安で毛沢東はじめ共産党指導部に密着取材して著した『中国の赤い星』(筑摩書房)を読みました。ジャーナリズムって面白いと思って、新聞の中国特派員を志しました。念願かなって1980年、北京特派員に。ただ、1年10カ月で東京に戻されました。中国当局ににらまれ、本社が危ないと思ったようです。後で中国人の知人が当局に拘束されたことを知り、心が痛みました。

 日本の中国への貿易依存度は、米国より大きい。しかし、安全保障では米国と力を合わせ、対中抑止力を強化していかなくてはならない。これまで日本は外交下手、安保は人任せでも何とかしのいでこられた。しかし、ロシアのウクライナ侵攻が、目を覚まさせてくれました。ウクライナの国民は死力を尽くして祖国を防衛しています。世界中の人々に働きかけ、“参戦”を呼びかけています。毎日、英語で世界に発信しています。だから世界も助けようと立ち上がったのです。「世界は自ら助くる者を助く」のです。