「あら探し」専任のネガティブチームの一言が大きな決断を支えた

(写真=大槻 純一)
(写真=大槻 純一)

 6代目の社長を継いだ1999年は、長瀬産業には非常に厳しい時期でした。

 当社は、スイスのチバ(Ciba)や米イーストマン・コダックなどの日本総代理店となって成長してきました。しかし80年代後半から外資規制が撤廃となり、ビジネスモデルが崩れ始めます。社長になりたいと思ったことはなかったけれど「なりたいかどうかじゃない。目の前の問題をどうにかしないと」、そんな意識での就任でしたね。

 では、何をすればいいのか。代理店ビジネスだけでは、時代の変化に対応できない。グループ内には規模は小さいけれどバイオや化学系、電子系の製造業がある。この分野を伸ばして、商社とモノづくりの機能を併せ持てば、顧客の高度な要望に応えていけるのではないか、と考えました。

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