廃業寸前の陶磁器産地商社を継ぎ、等身大の感覚を取り込んだ商品開発で再生した。ものづくりの慣習にこだわらず、時代に合わせた次世代の陶磁器生産地の姿を探る。

「波佐見焼」ブランド躍進の立役者の1人
産地名を前面に押し出した食器シリーズ「HASAMI」で、名産品の波佐見焼の知名度向上に貢献。個性的な商品企画を続ける(写真=荒川 修造)
(写真=荒川 修造)

 長崎県で唯一海に面していない山あいの小さな町、波佐見(はさみ)町。陶磁器の一大産地として日本有数の出荷量を誇るこの町で、地元の名産品「波佐見焼」の商品企画や販売を手掛ける産地商社がマルヒロだ。カラフルなマグカップや、現代アーティストとコラボした湯飲み──。大胆でモダンなオリジナル商品が人気を集め、地元を代表する企業の一つとなった。

 400年の歴史がある波佐見焼だが、かつては峠を挟んだ隣町の佐賀県有田町で作られる「有田焼」の下請け産地として大量生産を請け負っていた。1990年代をピークに焼き物の出荷量が減少傾向となる中、2000年ごろの産地偽装問題を機に産地名表記を見直す動きが進み、「波佐見焼」として世に打ち出そうという機運が高まった。

 ただし、地域産品のブランドづくりは一筋縄ではいかない。マルヒロの馬場匡平社長は家業を継いだ08年、挨拶回りに行った先で同業者からかけられた言葉が今も忘れられない。「波佐見と有田を分けるこの峠で、世の中では4倍の価値の差が出るんや」

「食べられりゃ、いいやん」

 マルヒロの始まりは、馬場社長の祖父が始めた露天商。「ガサもん」と呼ばれるC級品の陶磁器を安く仕入れ、傷や欠けを修理して店舗に卸した。モノが足りない戦後だからこそ、こうした商売が成り立った。経済成長とともに消費者が品質の良い商品を求めるようになると、前社長である父親の代から、A級品を取り扱う産地商社へとビジネスを転換していった。

 「30歳までは何をしてもいいが、いずれは継いでくれ」と祖父に言われていた馬場社長。専門学校を卒業後、インテリアショップやアパレル店の店員など職を転々とし、博多でフリーター生活を送っていた。波佐見に呼び戻されたのは、予定よりも早い22歳の時。当時、売上高は1億円ほどあったものの、利益をほとんど出せておらず、会社は倒産寸前の状況に追い込まれていた。波佐見でA級品を扱う同業は既に多くいたため、後発のマルヒロは苦戦を強いられていた。

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