ソニー製品の受託生産から自社製品開発型へ業務転換を果たした。高い技術力をオープンイノベーションで磨き上げ、「メード・イン・石巻」を発信する。

きっかけは従業員のある要望だった。
「自宅のテレビが壊れたので直せないか」。2011年3月11日の東日本大震災から約2週間後のある日、ヤグチ電子工業(宮城県石巻市)の佐藤雅俊社長は、修理を頼まれた家に出向いた。液晶テレビ画面のガラスが割れていて「これは修繕できない」と伝え、説明のために遊び半分でテレビ表面の偏光フィルムを剥がした。すると黒い画面が真っ白に。この偏光フィルムは特定方向の光のみを通すもので、映像を見るために欠かせない部品。テレビの知識があれば誰でも知っていることだが、このとき、佐藤氏は「ピンときた」。
何か面白いものに応用できるかもしれない──。すぐイメージしたのは、偏光メガネをかけた客だけが鑑賞できる映画館だ。さっそく、偏光フィルムを用いた特殊メガネをかけると映像が見える液晶ディスプレー「ホワイトスクリーン」を開発したところ、“見えない広告”を表示できるデジタルサイネージ(電子表示広告)として「広告を最後まで見てもらえる」と広告会社から称賛された。高級ブランド会社のPRイベントなどに採用され、この技術がその後、主力製品の一つとなる幼児弱視治療機器の開発へとつながった。
オープンイノベーションで放射線測定器を自社開発
ヤグチ電子工業は、「ウォークマン」などソニー製品の下請け工場として1974年に神奈川県相模原市で設立。「メード・イン・ジャパン」による高品質な製品を供給し、2000年にはソニー製品の生産数2億台を達成した。しかしその後、生産拠点の海外移転の影響で業績が低迷。シャープ、カシオ計算機などに取引の幅を広げたが、08年のリーマン・ショック後に経営は一気に傾いた。09年、生産拠点集約のために本社を宮城県石巻市に移転、グループで600人ほどいた従業員は25人に減った。そこへ東日本大震災が発生。当時工場長だった佐藤氏は「ああ、もう会社はつぶれるな」。そう覚悟した。
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