安価な中国製との競争に敗れ、廃業寸前までいった撚糸工場。独自に開発した糸を使ったタオルが大当たりし、右肩上がりの成長を遂げた。

2種類のタオルに、青く着色した水を上からかける。差は一目瞭然。普通のタオルは吸収しきれず水がこぼれるのに対し、浅野撚糸(岐阜県安八町)が開発した「エアーかおる」は水をどんどん吸っていく。
秘密はタオルの表面のパイルと呼ばれる丸いループ状の部分の特殊な糸にある。浅野撚糸が開発した「スーパーゼロ」。「撚糸(ねんし)」とは複数の糸を合わせてねじり、強くする加工だ。スーパーゼロは、綿の糸とお湯で溶ける樹脂製の糸を合わせたもの。タオルの製造工程でお湯に浸すと綿だけが残り、樹脂の糸があった部分は微細な空洞になる。空気を多く含み、一般的なタオルの1.6倍という吸水性を実現した。
エアーかおるは2020年8月、累計販売枚数1000万を達成。現在も月17万枚を販売するペースで、コロナ禍の今年も、昨年を上回る大ヒット商品だ。
廃業か、リストラか
浅野撚糸は紡績工程の一部である撚糸を手掛ける企業として1967年に創業した。90年代の前半から繊維産業の衰退とともに苦境に陥り、90年代半ばに超円高の直撃を受けた。「続けるのはもう無理かもしれないと思った」。浅野雅己社長は振り返る。
九死に一生をもたらしたのが、ストレッチパンツなどの流行だ。生地に使うのは綿とゴムなどを合わせて撚(よ)る伸縮性のある糸。浅野撚糸はいち早く機械を入れ、需要をとらえた。
だが長くは続かない。流行の終焉(しゅうえん)に加え、香港企業などがより安く糸を作れるようになり売り上げが急減。中国からの安価な繊維製品の輸入も拡大した。赤字の仕事も受注するようになり、業績は悪化の一途。浅野撚糸は40社の協力工場を抱えていたが、ブーム後半に機械を買った工場は、投資が回収できず苦境に陥っていた。

「廃業しよう」。2003年の正月。会長だった父は浅野氏に言った。浅野氏は諦められなかった。自社は借金を返し終えていたが、協力工場はまだ負債を抱えていたからだ。共倒れになっては誰も救えない。苦渋の決断で社員30人のうち21人を解雇した。協力工場は9社だけが残った。この時、浅野氏は方針を変えた。「ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指す」──。「中国に勝てる気はしないが、うちにしかできないことはあると思った」(浅野氏)
浅野氏は新しい素材の開発に取り組んだ。素材の組み合わせや撚りの方法を変え、何千回も試験を繰り返した。そこに起死回生となる出合いが巡ってきた。
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