全2290文字

今どきの夫婦にウケるとの確信がズバリ的中し、「童顔」のひな人形で10年余り成長を続ける。当初、否定的だった職人の理解も進んだ。伝統を破壊することが、伝統産業を救うことにつながる。

卵型の童顔が人気
ふらここのひな人形は卵型にデフォルメした童顔が人気だ。伝統的なひな人形(右下、イメージ)と比べて違いは一目瞭然だ(写真=右下:アフロ)

 着物、畳など多くの伝統産業の例に漏れず、ひな人形も衰退の道を歩んでいる。市場規模はピークだった1970〜80年代から半減し、350億円程度まで落ち込んだ。それでも、「日本人の節句への関心が失われたわけではない」と主張するのは、ひな人形をはじめとする節句人形の企画・製造・販売を手掛けるふらここの原英洋社長だ。

 その言葉を裏付けるのがふらここの業績である。2008年に創業してから2桁成長を続ける。成功の要因は人形のデザインにある。リアルな大人の顔が当たり前だった伝統のデザインにとらわれず、卵型にデフォルメした童顔の人形を企画し、ネットで販売。これが若い夫婦の心をつかんだ。19年9月期の売上高は前期比13%増の5億4838万円を見込む。

 数年前からは類似品を出す人形メーカーが5、6社現れるなど、人形業界の台風の目になっている。伝統に縛られずに、伝統産業を活性化するモデルケースとして注目を浴びる。

 原氏は、人形師で人間国宝の原米洲の孫として1963年に生まれた。母・原孝洲も人形師で、自身も家業を継げば3代目になるはずだった。

父が急逝、3代目を継ぐ

 ただ原氏にはその気がまったくなく、慶応義塾大学を1985年に卒業すると、迷わず集英社に入社した。当時、原氏は小説家を志しており、作家と接する機会のある大手出版社は夢の職場だった。

 ところが入社2年目に転機が訪れる。

 父が急逝し、母から跡継ぎとして実家に戻ってくるように要請されたのだ。家に戻るのは嫌だった。それでも父の急死という事態に直面し、わがままを貫けるような雰囲気ではなかった。

 結局、87年に母と同じ名前の人形メーカー、原孝洲(現・五色)に専務として入社した。人形の作り方を一通り覚え、新作を企画し、職人に製作を依頼するなど、精力的に社長である母を支えた。