![<span class="fontBold">加藤 隆雄[ かとう・たかお ]<br>1962年生まれ。84年京都大学工学部卒業、三菱自動車入社。2010年仏グループPSAとのロシア合弁工場、14年名古屋製作所(現岡崎製作所)の副所長を経て、15年にインドネシアの生産合弁会社のミツビシ・モータース・クラマ・ユダ・インドネシアの社長。19年6月から現職。57歳。</span>(写真=陶山 勉)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00110/00053/p1.jpg?__scale=w:300,h:434&_sh=0fe0710390)
1962年生まれ。84年京都大学工学部卒業、三菱自動車入社。2010年仏グループPSAとのロシア合弁工場、14年名古屋製作所(現岡崎製作所)の副所長を経て、15年にインドネシアの生産合弁会社のミツビシ・モータース・クラマ・ユダ・インドネシアの社長。19年6月から現職。57歳。(写真=陶山 勉)
どうせやるなら大きな分野で仕事をしたい──。親戚が三菱自動車の「ギャラン」に乗っていたこともあり、入社を決めました。
配属は生産技術の部署でした。自分が設計した部品から車が徐々にできていく過程は非常に面白いものです。常に工場の現場に顔を出し、職人さんと密な人間関係を作ったことが私の基礎となっています。
プレス型の修正にたった3日しか残っていないことがありました。車の寸法を変えるのは、それが1mmでも図面やプレス型の修正に通常は3〜4週間はかかります。それでは生産に間に合わないので、工場に持ち込んだプレス型を職人さんに手で削ってもらいました。「カトちゃんの言うことだから、やってやるよ」と協力してくれたのです。
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