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厳しい生存競争を通じ進化を遂げてきた動植物の形状や機能から着想を得る生物模倣技術。技術の進歩でより精緻に再現できるようになり、医療分野やロボットなどにも応用の幅が広がっている。実用化の事例が増えつつある一方、産官学連携のあり方など今後に向けた課題も見えてきた。

ヤモリの手足に着想を得て開発された滑りにくい手袋「ナノぴた」
●ヤモリの手足とナノぴたの拡大図
(写真=左:アフロ)

 日常生活の基本的な動作の一つである「モノをつかむ」行為。この動作を支えるのが、凹凸で摩擦力を生み出し滑りにくくしている指紋だ。では、指紋がなくなったらどうなってしまうのか。

 日本人の2人に1人が罹患(りかん)するとされるがんの治療法の一つとして抗がん剤治療があるが、副作用により細胞分裂が抑制されて指紋が薄くなったり、なくなってしまったりすることがある。冷たいものを触ると痛みを感じる温痛覚異常や震えなどの症状が出ることもあり、モノを持つことが困難になることもあるという。

 副作用に悩むがん患者らの日常生活をサポートするため、壁面を自由に動き回ることができるヤモリの手足の構造にヒントを得て開発されたのが、帝人フロンティア(大阪市)が商品化した手袋「ナノぴた」だ。

手足の繊毛を繊維で再現

 一見すると市販されている通常の手袋と大きな違いはない。実際に使ってみると、綿手袋では滑って持ち上げることができないアクリル板でも指先がピタリと吸い付き簡単に持ち上げることができる。綿手袋では開栓が難しいペットボトルの蓋もすぐに開けることができた。

 手袋の手のひらの部分に編み込まれた灰色の布がこうした働きを支えている。ヤモリに着想を得たのはこの部分で、普通の綿手袋と比べるとザラザラして突起が多いように感じる。浜松医科大学の針山孝彦特任教授(生物学)が発案した。

 ヤモリの手足の表面には直径200ナノ(ナノは10億分の1)メートルの極細の繊毛が密集している。接触面積を広くして強い摩擦力を生み出すことで、垂直の壁でも自在に上り下りをすることができる。

 学内の大学病院でがん患者の窮状を見聞きしていた針山教授は「ヤモリの足と同じような構造の物質で手袋を作れば、わずかな力でモノをつかめるようになるのではないか」と考えた。

 2016年、針山教授は帝人が08年に商業生産を始めた素材「ナノフロント」に出合った。直径が髪の毛の約85分の1の700ナノメートルの超極細ポリエステル繊維で、もともとはゴルフ用グローブや靴下の素材として利用していたものだ。ヤモリの繊毛ほど細くはないが、針山教授はこの素材を使えばヤモリの足の構造を再現できるのではないかと考えた。

 話を持ち掛けられた帝人フロンティアは早速開発に着手。ナノフロントで編んだ布を研磨して、繊維をそばだたせることで、繊毛が密集したヤモリの手足を再現した。

 狙いは的中し、従来の綿手袋や滑り止め付き手袋とは比較にならない摩擦力を生み出せるようになった。大学病院で患者らに使用時の感想などを聞き、縫製部分に指が当たらないようにしながら、内部の空間を広くとるなど工夫を重ねた。

日経ビジネス2019年6月10日号 132~134ページより目次