ロッテグループ創業者の重光武雄氏は日韓を股にかけた無二のモデルを生み出した希代の実業家だった。同族企業の強みも存分に生かしたが、晩年は実子たちが争う火種を残してしまった。

 1月19日にソウル市内の病院で老衰のため死去した。98歳。韓国南東部の生まれで、戦中に日本に渡った後の半生や人となりは報じられているから、ここでは詳しく触れない。1948年に日本でロッテを設立し、韓国にも進出して同国の財閥5位に育てた、国境をまたいだビジネスモデルに着目したい。

 成功に導いたのは米軍の進駐でチューインガムの人気が高まると見抜いた先見性と指摘される。しかしガムがはやると見た人は多くいた。重光氏はマーケッターとして優れていただけでなく、イノベーターの視点を持っていた。当時の日本で使われていなかった天然素材を主原料に取り入れ、食感を高めて頭ひとつ抜け出すと、57年に売り出したグリーンガムでは殺菌・脱臭作用をアピールし、大人向け市場を確立する独創性を発揮した。

 日韓国交正常化を機に祖国の韓国に進出すると、今度は日本のいいところを取り入れるキャッチアップ経営に切り替えた。79年に開業した百貨店では、北九州市の地場企業から役員をスカウトし、店舗づくりの指導を受けた。ファストフード店も日本で72年、韓国では79年に開業している。

 ホテルや屋内型遊園地は韓国で初めて取り組んだ事業だが日本の消費動向を見ながら参入に踏み切った。プロ野球球団を持つ利点を日本で知り、韓国でロッテジャイアンツを所有している。日韓の流行の時間差を巧みに利用して韓国で稼ぐロッテモデルを確立した。

 韓国では本名の辛格浩(シン・ギョクホ)を使い、ソウルと東京でひと月ずつ交互に暮らした。岸信介元首相や韓国の歴代大統領ら政財界に広げた交友関係は、ビジネスに有形無形にプラスに働く。両国を行き来しながら、もろい両国関係を支える役割も果たした。

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