作品が生まれる背景が垣間見える

 10月4日号から、安部龍太郎氏の歴史エッセー『故(ふる)きを温(たず)ねて』が始まりました。

 安部氏が直木賞受賞作『等伯』で描いた主人公の絵師・長谷川等伯といえば、国宝『松林図屏風』(東京国立博物館蔵)が有名です。墨の濃淡だけで霧の中の松林を表現したこの絵の前に立つと、幽玄の世界に迷い込んだ錯覚にとらわれます。遠目には写実的ですが、近くで見ると荒々しい松の葉の線は、普通の絵筆以外の何かで描いたことが分かっています。重ねた穂先か、細く割った竹か、束ねたわらか特定できていませんが、等伯の探求心を感じます。

 安部氏の小説も探求心の産物です。例えば現在、日本経済新聞朝刊で連載中の『ふりさけ見れば』。長安の街の描写を読み進むと、いにしえの都に紛れ込んだ気持ちを味わいます。安部氏は小説を書く前に、必ず舞台となる地に足を運んで、郷土史の研究者に話を聞くなど丹念な取材を重ね、登場人物の姿に迫るそうです。さらに従来の日本史の研究には経済の視点が足りていないと感じ、交易や物価の話も小説に盛り込んで歴史の記録の合間を埋めていきます。

 作品が生まれる背景を垣間見ることができる『故きを温ねて』。お楽しみください。

(村上 富美)

日経ビジネス2021年10月18日号 100ページより目次

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