暗い道を、ほとんど声を発する人がいない長い行列でした。

 1995年1月に起こった阪神大震災。被災地の取材の帰りに神戸から電車が動いていた西宮北口駅まで5時間ほど歩きました。倒壊した家屋が並ぶ国道2号。停電で灯りを失った夜の街に渋滞で動かない車の赤いテールランプだけが延々と続いていました。その脇の暗い歩道は大阪方面に避難しようとする被災者の方々が長い列を成し、黙ってひたすらに東に向かっていました。

 6000人以上の死者を出した惨事から幸いにも生をつないだ方々ですが、様々な形で心に負った傷や、これからへの不安の深さをその沈黙が物語っていました。四半世紀がたった今も傷は完全には癒やされてはいないでしょう。

 46年の昭和南海地震を経験した老人に当時の話を聞いたことがあります。「流される家の屋根に登って『助けてくれ』と叫んでいた人の声が忘れられない」。半世紀以上を経ても自らをさいなむ無力感。「震度7」を設けるきっかけとなった48年の福井地震の経験者は「目の前で隣人が落ちた地割れが再びふさがり、かぶっていた笠だけが残った」と声を震わせました。

 今号の特集は「東日本大震災から10年」。かつての大震災よりも傷が癒える時間は短く、なお心を苦しめている方も多いでしょう。せめて街や暮らしはかつての活力を取り戻してほしいところですが、思ったような復興が進んでいないようです。その理由を追うと、災害対応だけでなく広く日本を覆う課題が見えてきます。傷が癒える日はまだまだ遠そうです。

日経ビジネス2021年3月1日号 7ページより目次
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