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 先日もJRのOBの方が杯を傾けながら「あれは気の毒だった」と振り返っていました。1964年の新幹線開業時のテープカット式典。「新幹線生みの親」といわれる元国鉄総裁の十河信二さんが招かれず、自宅のテレビでその様子を見ているしかなかったことです。

 お孫さんの取材を通して十河さんのすごさは認識していました。鉄道院(現・国土交通省)に入庁し、林銑十郎内閣では参謀長に。西条市長を経て55年に国鉄総裁になりますが、この時すでに71歳。「鉄路を枕に討ち死にの覚悟で職務にあたる」と引き受けました。

 そして、夢の新幹線計画をぶち上げます。しかし、政府や国鉄内から反対の声が相次ぎます。当時は空の移動が普及期に向かい、東京-神戸間の高速道路の開通も目前。「鉄道は確実に斜陽化するとの見方が一般的な常識だった」と十河さんの伝記をまとめた有賀宗吉さんは指摘しています。それでもあきらめない十河さんは世界銀行の力も使うなどして実現にこぎつけます。

 テープカットに出席できなかったのは前年に総裁を退任していたため。三河島事故と新幹線の工事費が当初予算の2倍以上に膨らんだ責任を取った形でした。十河さんは最初から分かっていたのだそうです。見積もりの半分の額で国会に予算提出していたのです。

 今号の特集はコロナ禍で進む日本の中の「分断」。移動なき社会とそこから生まれる新たなビジネスの芽の実情を切り取ります。人の移動が減り、これまでと違う風景が広がっています。斜陽か新たな光か。十河さんならどんな未来を描くでしょう。

日経ビジネス2020年10月5日号 7ページより目次