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 「会社に裏切られた思いです」──。ずいぶん前の出来事ですが、いまだに知人は憮然としてため息をつきます。

 1980年代半ば。知人はマルコス政権末期で経済危機に陥っていたフィリピンにいました。大手旅行会社の現地支店に勤務していたのです。経済状況にかかわらずリゾート地は大人気。旅行商品の肝となる外資系高級ホテルの手配に奔走していました。

 しかし、フィリピンの外貨不足は日を追って深刻に。日本の本社から米ドルを送金してもらってもすぐには引き出せない状態が続くようになってきました。時には数カ月待たされることも。政府機関の外銀への債務返済に充てられていたのです。困ったのが高級ホテルへの支払いです。キャッシュがないと部屋を手配できません。

 そこで本社が香港の銀行にドルを送金し、知人が香港で札束をボストンバッグに詰めてフィリピンに持ち込むことになりました。没収の恐れがあるため申告はしません。当初はうまくいっていたものの、ライバル旅行会社が税関に密告。いつものように香港から戻った知人は空港で身柄を拘束されてしまいます。解放されたのは3日後でした。

 日本に呼び戻された知人を待っていたのは会社の懲罰委員会。上司も送金係も知らんふりで責任を1人で背負わされ、結局退社することになりました。

 今号の特集は「キャッシュレス」。金融サービスはどんどん進化しています。今ならボストンバッグでリスクを冒す必要もないでしょう。組織も個人を裏切らないよう進化しているでしょうか。

日経ビジネス2019年11月18日号 9ページより目次