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 「宅急便」の生みの親、ヤマト運輸の小倉昌男さんは大成功の前に失敗に苦しんでいました。1960年。モータリゼーションの足音が聞こえるなか、東京─大阪の長距離大口貨物に参入しますが、うまくいきません。好調だった近距離・小口に安住し、需要が急拡大する長距離・大口でライバルに出遅れてしまっていたのです。

 長距離・大口に転換すれば業績が良くなると号令をかけたのに現実は逆に。「本当につらかった」。それでも積載量が1.5倍のトレーラーシステムを導入するなど様々な対策を繰り出します。東京─大阪を1人の運転手に任せず、浜松で大阪から来た運転手と荷物を交換することで泊まり勤務も減らしました。しかし、低迷は10年以上に。75年には「つぶれてしまうかもしれない」という状況に追い込まれました。

 法人向けの商業貨物ではもはや勝ち目がない。家庭向けサービスがあれば主婦が喜ぶのではないか──。他の役員の反対を押し切り、翌年始めた宅急便。同社の救世主は長い挫折の中から生まれました。

 2年前、このコラムでヤマト運輸の苦境は人手不足だけでなく、ニーズの変化に対応できない事業の仕組みそのものに問題があるのではないか、と指摘しました。今号の特集テーマである「フィジカルインターネット」は小倉さんが築いた宅急便網を変身させる新たな物流の仕組みです。

 ヤマト運輸もその研究を始めたようです。小倉さんなら目を輝かせていたでしょう。失敗よりも安住を恐れる人だったはずですから。

日経ビジネス2019年9月16日号 7ページより目次