大分県にある人気温泉地、由布院は今ごろどうなっていたでしょう。日産自動車の創始者、鮎川義介は戦後復興のために水力発電所を造り化学工場群を運営する計画でした。対象地として水没させようとしていたのが由布院盆地。資金調達にもめどをつけましたが「地元啓蒙活動が足らなかった」と実現できなかったことを悔やんでいます。

 日立製作所の源流でもある日産コンツェルンを作った鮎川さんはスケールの大きい実業家です。戦中は満州の工業化のため、軍の要請もあり満州重工業開発(満業)を設立。工業化が難しいと見るや大規模農業に狙いを変え、1940年にはポーランド侵攻で物資が不足するドイツに大豆を売りつけるためヒトラーと会談します。帰途にはスターリンとの面会約束も取り付けます。

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日経ビジネス2019年4月1日号 7ページより目次

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