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(イラスト=小田嶋 隆)

 志村けんさんの訃報は、ちょうど桜が満開を迎える時期に届けられた。

 通りがかりの桜の枝を見上げながら、満開の花の姿よりも、舞い落ちる花びらに強い印象を抱いた人も、少なくないはずだ。おそらく、桜が日本人に愛されている理由のひとつは、その儚い散り際が、身近な人間の死を思い出させるからだと思う。

 さて、メディア発の情報にさらされている時代の人間は、縁遠くなっている親戚や、長らく行き来のない知人よりは、画面を通じてよく知っている著名人の死に、より大きな喪失感を抱く。これは、異常なことではない。不道徳な反応でもない。人は、誰であれ、自分自身を強く投影した対象に支えられている。とすれば、その自分自身の分身である誰かの訃報を悲しむのは、ごく当然のリアクションだ。バーチャルな家族たる有名人の死が、何万という人々の心にリアルな悲嘆をもたらすこと自体も、決して不自然ななりゆきではない。

 それゆえ、志村けんさんのこのたびの突然死は、先々月来続いている新型コロナウイルスをめぐる騒動に、新たな展開をもたらすことになるはずだ。