社内から管理職が消え、出入り自由な小集団がつながっていく。ロックグループにも似た組織が、一発、ギグ(即興)を決めて投げ銭をもらう。その時、「会社」とはどのような存在になっているのか。

<span class="fontBold">ファブラボ鎌倉の工房内の様子。3Dプリンターやレーザーカッター、はんだごてなどを使い自由にモノ作りができる</span>(写真=的野 弘路)
ファブラボ鎌倉の工房内の様子。3Dプリンターやレーザーカッター、はんだごてなどを使い自由にモノ作りができる(写真=的野 弘路)

 JR鎌倉駅から徒歩5分、酒蔵を改装した建物は、古民家のようにも見える。この場所に、未来的な工房がある。

 「ファブラボ鎌倉」

 3Dプリンターやレーザーカッターといった最新の製作機器が揃っていて、小学生から高齢者までが集まって、思うままにモノを作っていく。

 「次世代の社会インフラにしたい」。このファブラボを運営する国際STEM学習協会代表理事の渡辺ゆうかは、地域に不可欠な場所を目指している。

 ファブラボの発想は、米マサチューセッツ工科大学の研究活動の中で20年ほど前に生まれた。当初はインドの田舎町や米ボストンの貧民街で始まり、生活必需品を自らの手で製作するプロジェクトとして地域に根付いていった。その活動は技術の発達もあって、現在では世界1000カ所以上に広がっているといわれる。地域の人が集まって、家具や電化製品、楽器など、何でも作っていく。

 土曜日の午後、近くの中学校に通う滑川寛が、はんだごてを使って、電子回路を作っていた。「使い方がうまくなったなあ」。隣で見ていた、66歳の山本修がつぶやく。メーカーの技術者として30年以上働き、退職後は地元のこの施設に来るようになった。集まった人たちに工具の使い方からプログラミングまで教える。滑川もそんな「教え子」の一人だ。

 そこに、たまたま居合わせた川原淳(45歳)がこう口にする。

 「僕は滑川くんに教わることも多い。ここでは上下関係なんていう概念はないからね」

 川原の本職は富士ゼロックスの開発者だが、IoT(モノのインターネット)の講習に来て、この施設にはまってしまった。化学畑が長く、モノ作りの経験はあまりない。だから、中学生の滑川が「先生」になることもある。

 「デジタル社会になって、モノ作りはつまらなくなったと思っていた。それが、ファブラボで一転した」

 創業に関わった慶応義塾大学教授の田中浩也は、かつては、デジタル化でコピーが容易な時代になった状況を憂いていた。製造業は中国や東南アジアなど、賃金の安い場所で大量生産する流れが進んだ。「消費と生産の分離」とでも言おうか。

 だが、ファブラボを地方都市に作ると、地元の様々な年代の人々が集まってくる。そして、話し合いながら新しいモノを作っていく。

 「生産と消費の場所が、再び1つになった」(田中)

 そこで作られたモノは、地元の文化の息吹も感じられる。そして、子供から大企業の社員、高齢者まで様々な世代が互いに刺激しながら作っていく。

 すでに、このファブラボ発の商品も販売されている。「リモコンのボタンが多すぎる」。そんな声から、スマホで複数の家電を操作できる商品を作り、アマゾンでヒットを飛ばした。

 「企業に頼らなくても、モノを作って販売できる時代になった」(田中)

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