古くて新しい経営課題「間接部門対策」には、多くの名経営者が頭を悩ませてきた。試行錯誤を経て多くの日本企業がとりあえず、たどり着いたのが「アウトソーシング」。だがそれも、その後の経営環境の変化と技術革新で最適解ではなくなりつつある。

(写真=毎日新聞社/アフロ)

 「宅急便」という戦後有数のイノベーションを生み出した昭和の名経営者、小倉昌男氏。その生前の姿を知るヤマトホールディングスの元首脳は、「小倉さんは現役時代、間接部門と直接部門の比率を常に意識していた」と振り返る。小倉氏はその理由を、ある法則を用いて幹部らに説明していたという。「パーキンソンの法則」である。

 1950年代、英国の歴史学者シリル・パーキンソンが導き出した法則で、「官僚などの非生産的組織は、仕事量に関係なく毎年5~7%膨張し、組織全体に様々な負の影響をもたらす」という事実を、大英帝国の植民地をモデルに指摘したものだ。

 小倉氏は、このパーキンソンの指摘を、自社の経営に当てはめ、間接部門の比率の上昇を何より警戒していたという。間接比率が高まれば、人件費などのコストが増し、企業が消費者らに提供する製品やサービスの価値は、相対的に落ちる。それは“内なる税金”に他ならず、やがて必ず事業の壁となる、と考えたからだ。

「対間接対策」の長い歴史

 実際、ヤマトのみならず、日本企業の歴史はそのまま、「間接部門との戦いの歴史」でもあった。

 日経ビジネスがこの問題を初めて本格的に報道したのは、77年3月14日号の特集「ホワイトカラーの生産性~その実態と改善策~」で、特集内では、従業員が増えるほど「間接人員1人当たりの粗付加価値額」が低下する事実をデータで実証。原因として「組織が肥大化すると、意思疎通のため、本来の生産業務に関係ない人員が膨れ上がる」と結論付けている。

(写真=上から:Natsuki Sakai/アフロ、TK/アフロ、朝日新聞社)

 理由がどうあれ、この時期から膨張を開始した間接部門に、日本企業は様々な方法で立ち向かってきた。

 まず取り組んだのが、間接部門社員の生産性を数値化し、「効率」の意識を根付かせることだ。

 先駆者的企業の一つが日立造船で、例えば人事部の場合、事業所ごとに「人事担当者1人当たり従業員数」を計算し生産性指標とした。要は「“面倒を見ている従業員”の数が多い人事担当者は有能」「仕事が増えても人を増やさず知恵を絞りなさい」という単純な仕組みだったが、当時としては先進的な間接対策だった。

 社内を細分化し、間接部門の効率化を促す手法も流行した。京セラの稲盛和夫・名誉会長を源流とするアメーバ経営はその代表。間接部門も含めた社内部門を細かく独立させ、小集団を構成し、独立採算で運営させる仕組みだ。

 間接部門は外へ売るものがないので、企業の中には、社内の仮想価格で給与計算などのサービスを直接部門に“売り”、利益を追求させる動きも出現。利益を増やすには肥大化などしていられないはず、という仮説をベースにした戦略だった。

 松下電器産業(現・パナソニック)の創業者、故・松下幸之助氏が発案した事業部制も、間接部門の増殖を防ぐ機能を持っていたとの指摘がある。各事業部が間接部門を組織の中に封じ込めることで、むやみな拡大を防ぐ効果がある、という見方だ。

 さらに、ファスナーで世界的シェアを持つYKKも、創業者、故・吉田忠雄氏の合理主義の下、古くから間接対策に取り組んできた企業の一つ。同社は「総枠と総額」という独自の概念で間接部門のコントロールを図った。

 経理や人事などを含む間接部門全体を一つの塊(=総枠)と捉え、その上で予算の「総額」を定める。総額は毎年、各部署が提出する予算の積み上げで作られるが、「前期比を1%でも超える予算を出すと、『知恵を絞って仕事しているのか』と他の間接部門から白い目で見られる」(中堅幹部)。

 いわば、競争がないはずの間接部門に競争原理と相互監視の概念を導入することで、各部門の肥大化を食い止めているわけだ。