創業家最大の悩み。それは後継者選びだと言っても過言ではない。信頼できる血を分けた親族にするのか。それとも実力で選ぶのか。

名うての創業者が集う「125だるまの会」
●「125だるまの会」の主なメンバーと創業企業
富士ソフト 創業者
野澤 宏会長執行役員
のざわ・ひろし 1942年生まれ。70年富士ソフトウェア研究所(現富士ソフト)設立。一時は現場から退いたが、復帰。(写真=村田 和聡)
カプコン 創業者
辻本憲三会長兼CEO
つじもと・けんぞう 1940年生まれ。83年カプコン設立。2007年長男に社長を譲った。米国にワイナリーを開設。(写真=菅野 勝男)

 「125だるまの会」。この風変わりな名称の会合は、セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木敏文が主宰した企業人向け勉強会「21世紀研究会」に参加していた起業家が中心となって1999年に立ち上げた集まりだ。

 メンバーの入れ替えはあるものの、AOKIホールディングス会長の青木拡憲、ファンケル会長の池森賢二などが中心人物。「だるま」の由来は、立ち上げた会社が危機に陥っても必ず復活するという意味を込めたとも、「鈴木敏文さんには手も足も出ない」という意味から付いたとも言われる。

 多い時には月に2~3回開かれていたが、最近は休眠状態だ。当初はメンバー全員が起業家として似たような境遇にいたが、今なお一線で指揮を執る者もいれば、代替わりした者もいるなど違いが出てきたため、会う機会がめっきり減った。

 昨年までメンバーだった富士ソフト会長の野澤宏(74歳)はこう言う。「同じ横浜にゆかりのある池森さんや青木さんに誘われて参加したんですよ。21世紀研究会メンバーが中心だから流通業の人が多かったですね。IT(情報技術)業界に身を置く自分にとって、皆さんの話は本当に新鮮だった」。

 だるまの会が最も活発に動いたのは2008年ごろ。米カリフォルニアやハワイなどにあるメンバーの別荘を訪れたこともあった。「まくら投げはしなかったけれど、修学旅行みたいな雰囲気だったな。いい大人がバスに乗り込み、メンバーの会社を訪問して好き勝手なことを言い合ったりしたこともあった」。

 メンバーの主たる話題は何だったのか。「他人には言えない話が5割。3割は事業継承と相続の話。政治の話もちょっとした」とメンバーの一人は言う。

 先の野澤は2001年、創業以来の右腕に社長を譲った。しかしトップとしては物足りず、ほどなくして社長に復帰。2008年、富士ソフトがもう一段高みを目指せるよう、米ハーバード大学でMBAを取得したみずほ銀行元常務を後任に据え、翌年、全てを委ねようと代表権のない会長に退いた。

 「随分思い切ったことをやったな」「銀行から連れてきてもうまくいくわけがないよ」「他にいなかったの?」。だるまのメンバーは口々にそう言った。

 2009年秋、リーマンショックが富士ソフトを襲った。2010年3月期の売上高は前期比14%減の1416億円、経常利益は45%減の36億円弱。「一大事」と見た野澤は2011年に再び社長交代を決め、長女と結婚した坂下智保(55歳)を後任にした。

 創業以来の腹心、華やかな経歴を持つ元銀行マン、女婿…。背景の異なる人材が社長に就いた富士ソフトは今、再び2桁成長が目指せるようになった。顔をほころばせる野澤はこうも言う。「私1代で会社を終わらせたくないんですよ。今の社長もテスト中。合格は与えていません。私の役回り? それは私のDNAを残すことです」。

 「DNAを残す」は最近になって野澤がしきりに口にするようになったセリフだ。むろん社員に自らの経営哲学を浸透させるという意味もあるのだろうが、字句通りに受け止める関係者もいる。「野澤さんの長男が子会社の副社長にいる。いずれは彼に継がせたいという意味ではないだろうか」(関係者)。

 だるまのメンバーの一人であるカプコン会長の辻本憲三は当初から子供に継がせることを決めていた。現在、長男は社長、次男はグループの資産管理会社社長、三男は「モンスターハンター」のプロデューサーを務める。

 「子供たちはずっと私の商売を見てきた。だからゲームのことは誰よりもよく分かっている。三男は足だけで『インベーダーゲーム』を操作できるんや。会社に入るのは自然だろう」

 そう語る辻本は「家族だから子供たちの能力と適性は分かっている」として、事業継承についてだるまの会のメンバーに相談することはなかった。

 だるまの前に付いている「125」は、人間の寿命の限界と言われる125歳を意味する。現在75歳の辻本は「できることなら50年後も自分が会社を見ていたい」と本音を語る。それが難しい以上、せめて血を分けた子供に継がせたいということなのだろう。