半世紀ぶりの国産旅客機として期待を集める三菱重工業の「MRJ」。だが初号機は5回の納入延期に追い込まれた。失敗を生んだ「過信」の構造に迫る。

<span class="fontBold">各回の表面的な理由は様々。だが結果的には十分な準備が整わないままプロジェクトが走り出したことが共通項として浮かび上がる</span>(写真=共同通信)
各回の表面的な理由は様々。だが結果的には十分な準備が整わないままプロジェクトが走り出したことが共通項として浮かび上がる(写真=共同通信)
MRJは過去5回、納入を延期してきた
●延期の原因
1回目 2009年9月
主翼を炭素繊維複合材からアルミへ材料変更
炭素繊維複合材は十分な軽量化につながらないと判断。併せて、客室スペース拡大と、積載作業効率化へ貨物室を2カ所から1カ所に集約。
2回目
(写真=時事)
(写真=時事)
2012年4月
製造現場で不適切行為、MRJの製造工程も再検証
三菱重工でボーイング向け航空機部品などに関連し、検査工程省略などが発覚。MRJの製造工程も抜本的に再検証。
3回目
(写真=共同通信)
(写真=共同通信)
2013年8月
サプライヤーからの装備品の仕様固めが難航
機体内部の装備品に関わる詳細なスペックを固めるのが難航。海外サプライヤーとの折衝にてこずる(写真は東京・港の三菱重工本社)。
4回目 2015年12月
外国人有識者の進言で、地上試験の内容を拡充
机上の解析作業への依存を減らし、機体に関する地上試験の内容を質量ともに拡充。当局の安全性審査に対する説得力を高める。
5回目 2017年1月
外国人有識者の進言で、電気配線の設計変更
2万3000本の電気系統の配線を全面的に見直し。安全性を立証しやすいよう、国際標準の設計手法を採用。一部装備品の配置も分散。
●MRJのスケジュール
<span>●MRJのスケジュール</span>
事業化決定を発表する三菱重工の佃和夫社長(当時、左)、5回目の遅延を発表し陳謝する宮永俊一社長(右)(写真=左:時事、右:的野 弘路)
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 名古屋市の北に位置する県営名古屋空港。ターミナルのレストランは昼時にもなれば外国人客でいっぱいになる。実はこの空港は国内線専用。いくら訪日客が増えた日本の地方空港とはいえ、ちょっと場違いな風景にも見える。

 だが航空機業界の関係者は少しも驚かない。三菱重工業の子会社でMRJの事業主体を担う三菱航空機が本社を構えるのが、この名古屋空港。三菱航空機でプロジェクトに関わる約2000人のうち、外国人は米国の拠点も含めてざっと600人に上る。設計技術者の派遣会社から送り込まれた外国人も少なくない。「プロジェクトの遅れを取り戻すために俺たちエキスパートは雇われたんだ」。ターミナル内でコーヒー片手に休憩していたインド人エンジニアは自慢げにそう語る。

 「航空機生産は長年の悲願。基幹産業の一翼を担っていきたい」。2008年3月28日、三菱重工の佃和夫社長(当時)がこう高らかに宣言して始まったMRJ事業。1973年に生産中止となったプロペラ機「YS11」以来の「日の丸旅客機」として、2013年に1号機を全日本空輸(ANA)に引き渡す予定だったが、5回の納入延期でいまだ果たせていない。現在は20年半ばの納入を目指しているが、当初1500億円程度とみられていた開発費は既に4000億~5000億円へと膨張しているようだ。

 火力発電設備部門の低迷などで業績がさえない三菱重工。連結売上高は4兆円あるが、MRJは次第に重荷になりつつある。

 なぜ、この事態を招いたのか。まずは、「失敗」の系譜をたどってみよう。

 5回の失敗の概要を示したのが上の図だ。どれも事業化スケジュールを大きく狂わせたことが分かる。

 まずは1回目。機内の客室スペース拡大などの設計変更に加え、当初、売り物としていた最先端の軽量化素材、炭素繊維複合材の主翼部分への使用を諦めたことに起因する。

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