47歳から「私の履歴書」

 転機となったのは47歳から自分の半生や考えをノートに書き留め始めた「私の履歴書」。過去を振り返り、今後の身の処し方を真剣に考えるなかで、単なる希望や情熱だけでなく、具体的な計画も練り込んだ。家族だけでなく親しい会社の同僚にも早くから自分の気持ちやプランを明かし、周囲が納得してくれる環境づくりを進めていった。

 計画を実現するのに大きく立ちはだかったのが住宅だ。栗原さんは東京出身。多くの同僚のように「ついの住み家」を首都圏に求めるとなれば、5000万円以上は必要になる。しかしローン返済を抱えながら、充実したセカンドライフを歩むのは難しい。

 そこで、安住の地として福岡市内にある分譲価格が約2500万円のマンションを一括払いで購入した。「ローンの憂いをなくすことで、余裕を持って次の生活に飛び込める」と考えたためだ。

 現在、栗原さんは佐世保市の教職員住宅で単身赴任の一方、妻は福岡市の自宅で趣味のピアノを楽しむ暮らし。就職した2人の子供も含め、家族は2~3カ月に1度は集まる関係だ。栗原さんは「『一家離散』のようだが、お互いに適度な距離感が心地よい」と笑う。

 転身に当たっては人脈も活用。長崎支社長時代に知り合った地元有力企業の経営者の薦めもあり、長崎国際大学の地域連携室室長という職に恵まれた。

 こうして2015年から順調なスタートを切った第2の人生。だが、地域連携室室長として多忙な日々を送ることになり、大学の代表として各種イベントなどに出席する機会も増えた。栗原さんは「子供たちの成長をサポートするという本来の目標が果たせないのではないか」と感じるようになった。

 実際、このように転身後に自分の期待と現実にずれが生じるケースは珍しくないだろう。そこで栗原さんが取った行動が、自分がやりたいことを改めて突き詰めることだった。

 栗原さんは大学側に申し入れ、今年6月から室長の肩書をなくしてもらった。収入は減ったが、学生たちとグラウンドで触れ合える時間を今まで以上に割けるようになった。栗原さんは「むしろホッとしたという気持ちが強い。学生の成長を見守れる今は本当に充実しています」と話す。

 「会社人生が終わり、線香花火のように消えるのは嫌。1粒で2度おいしい人生をいかに送るか、その準備が大切なんです」。そう語る栗原さんは、今日もグラウンドで声を張り上げている。

水野達男さん
マラリア撲滅の奉仕活動
<b>水野達男さんはマラリアで苦しむ人々を救うため、頻繁にアフリカへと足を運ぶ</b>
水野達男さんはマラリアで苦しむ人々を救うため、頻繁にアフリカへと足を運ぶ
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 「居心地が悪いと感じるのは人が成長している証し。金銭的に恵まれ、ちやほやしてくれる子会社の役員になれば居心地は良かったかもしれないけど、それでは自分の成長が止まってしまうように感じた」

 2012年、マラリア撲滅を目指す米NPO「マラリア・ノーモア」の日本支部を立ち上げた水野達男さん(61歳)。もともとは住友化学で蚊帳部門を率いていた。53歳の時、アフリカ事業を取りまとめていた水野さんは突然動けなくなる。診断は「抑うつ」だった。

 それまで縁もゆかりもなかったアフリカでの仕事。「何で俺がアフリカで仕事をしないといけないんだ」という鬱屈した思いを抱えていたが、うつで40日間寝込む中、ふとマラリアで子供を失った母親の姿が浮かんだ。その瞬間、水野さんは彼らを救うことが自分の一生の仕事だと悟ったという。

会社員時代の交渉術を生かす

 「もっと若ければ、ああいう気持ちにならなかっただろう。定年が現実味を帯びつつある時期だったからこそ、新たな視点で人生を見つめ直すことができた」。水野さんはその後、意欲的にアフリカ事業に取り組み、抑うつを克服。蚊帳の現地生産を軌道に乗せた上で、ボランティアの世界へ飛び込んだ。

 NPOの中には、高尚な理念を追求するあまり、経営が行き詰まるところも少なくない。だが、水野さんはビジネス目線から「社会課題の解決を事業化する」との目標を掲げ、企業による支援を重視。会社員時代に培った交渉術を生かし、今年度は複数企業から3400万円の支援金を集めた。

 水野さんがボランティア活動に専念できた背景には、家族の協力もあった。妻は金融関係の仕事を続けており、経済的に自立している。子供も既に独立し、親の手を離れた。「(報酬が高くない)NPOの活動を続けられる金銭的な余裕があるのが何より大きい」。水野さんはこう振り返る。

飛田甲次郎さん
カイゼン超える理論啓蒙
<b>飛田甲次郎さんは「TOC(制約理論)」の普及と研究に第2の人生を捧げる(京都市のゴールドラットのセミナーハウス)</b>(写真=太田 未来子)
飛田甲次郎さんは「TOC(制約理論)」の普及と研究に第2の人生を捧げる(京都市のゴールドラットのセミナーハウス)(写真=太田 未来子)
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 会社に入ってから30年以上ずっと信じてやってきたことが、定年2年前になって否定されている──。2008年、オムロン常務だった飛田甲次郎さん(66歳)は、社内に招いた外部講師の講演を聞きながら愕然としていた。

 テーマは「TOC(制約理論)」。『ザ・ゴール』などの著書で知られる故エリヤフ・ゴールドラット博士が打ち立てた理論体系だ。工場における生産など一連の流れのなかで、ボトルネック(制約)部分を見つけて解消していくことで全体最適を目指すものだ。

 「部分で必死にカイゼンに取り組んできた。それを集計するとものすごいコスト削減ができたはずだが、全体では利益が増えていない。ずっと悩んでいたこの長年の謎が、氷解していくのを感じた」(飛田さん)

 当時の肩書はものづくり革新本部長。生産に対する知見に自負がなかったはずがないが、プライドを吹き飛ばすほど、この新たに触れた理論は飛田さんを魅了した。

 TOCをオムロンに導入する──。そう心に決めて準備に取りかかったものの、定年まではあと2年。与えられた時間はあまりにも短い。2010年3月に子会社のオムロンヘルスケアで正式導入したまでが限界だった。

 それでも、まいた種はその後大きく育った。2010年度に600億円だったオムロンヘルスケアの売上高は4年後に1000億円を超え、2020年度の目標水準をクリア。導入当時のオムロンヘルスケア山田義仁社長は、その後、オムロン社長に就いた。

 セカンドライフを歩む。その時、多くの人は第1の人生で培った経験の延長線上を模索する。しかし飛田さんはオムロン時代に経験できなかったことを追求する道を選んだ。

 定年後、「オムロン常務」という肩書に目を付けた国内外の企業や大学からの誘いがあったが、丁重に断り、ゴールドラット・コンサルティング・ジャパンに再就職した。ゴールドラット博士の直弟子としてオムロンで講演をした岸良裕司・ゴールドラット・コンサルティング・ジャパンCEO(最高経営責任者)の誘いに乗った。

 「多くの場合、失敗した時の分析はするけど、成功した時の分析をなかなかしない。成功した時を押さえておくのが重要です」。9月上旬、京都市内の古民家を利用したセミナーハウスで、40人ほどの生徒を前に飛田さんが語りかけていた。その声には張りがある。

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