罠にはまらず、充実した第2の人生を送る人たち。彼らは、どのようにしてそれを果たしたのか。これまでの人生を読み解きながら、成功のポイントを探ってみよう。

栗原邦夫さん
野球で切り開かれた人生
<b>ハウステンボスにほど近い長崎国際大学の野球グラウンドでは、栗原邦夫さんが練習に臨む選手らに温かい視線を注ぐ</b>(写真=諸石 信)
ハウステンボスにほど近い長崎国際大学の野球グラウンドでは、栗原邦夫さんが練習に臨む選手らに温かい視線を注ぐ(写真=諸石 信)
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 8月下旬、長崎県佐世保市にある長崎国際大学の野球グラウンドでは、二十数人の選手が猛暑のなか打撃練習に励んでいた。

 「ナイスバッティング!」「強い打球でいこう!」。2015年から同大職員で野球部コーチも務める栗原邦夫さん(58歳)は、選手らを見守りながら笑顔で声をかける。

 野球部は創部2年目ながら、部員80人を超える大所帯。慶応義塾大学野球部の選手だった栗原さんは主に試合に出場しない選手らの指導を任され、一緒に汗をかきながらモチベーションを高めることに気を配る。「子供たちが勉学や就職でもいい結果を残せるようにサポートしたいんです」と目を細める。

 栗原さんは2015年春、キリンホールディングスの中間持ち株会社、キリンの執行役員を退任した。当時56歳。要職からの突然の早期離脱に社内からは驚きの声が上がり、当時の首脳陣からは「おまえにどれだけ期待していると思っているんだ」と叱責された。だが、「自然な決断で、10年前から考えていたことを実行したかった」と頭を下げ続け、自らの意志を貫いた。

 この「10年」という時間は、栗原さんがセカンドライフをいかに周到に設計し、優先順位を考えながら準備を進めてきたかの証しでもある。栗原さんは1996年以降、営業担当や長崎支社長、九州統括本部長として計約11年を九州で過ごした。人々の温かさや文化の深さに触れ、「社会人として育ててもらった恩を返したい」との思いは募っていった。

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