現実味を帯びる受信料義務化

 放送法では、「放送を受信することのできる受信設備を設置した者(世帯や事業者)」に対し、月1260円(口座引き落とし・クレジット払いの場合、衛星契約は同2230円。いずれも税込み)の受信料支払い契約を結ぶことを義務づけている。NHKは「受信設備」について、テレビのほか、地上波テレビ放送を視聴できる携帯電話やパソコン、カーナビも対象と解釈している。

 NHKが番組の同時配信など本格的なネット対応に乗り出せば、iPhoneのようにワンセグでテレビを視聴できないスマートフォン所有者もNHKの番組をタダで視聴できるようになる。

 受信料の公平負担の観点から、対象をテレビ放送の「受信設備」に限定した受信料制度のままでは、放送と通信を融合させた新しいサービスを提供することが難しいのだ。

 NHKは現在、過去の番組を有料で視聴できる動画配信サービス「NHKオンデマンド」を展開している。だが、これは特例措置という扱い。放送法で「受信料を財源としない業務」と規定され、受信料とは会計が切り分けられている。海外の公共放送のように無料の見逃し視聴サービスは提供できない。

 さいたま地裁は8月26日、テレビをワンセグ視聴できる携帯電話に契約義務がないことを認める判決を言い渡した。携帯電話の所持が「受信設備の設置」に当たらないと判断、NHKの解釈を否定した。NHK側は控訴する意向だが、判決は受信料制度の限界を示すことになった。

 NHKが同時配信にかじを切れば、民放も追随せざるを得ない。政府にはNHKを、日本の放送モデルを転換させるための「先兵」にする狙いがある。当初はNHKと協調しながら受信料制度の改正を進め、将来的にネット同時配信に踏み切る計画だったが、4月の籾井氏の“粛清人事”をきっかけに強硬策に打って出ることになった。

 「NHKの将来を託すには石原さんがふさわしい」。新しい経営委員長選出を前に、総務省の幹部は水面下で経営委員の説得に動いた。中には、東京都知事候補として名前が挙がった桜井俊前事務次官から直接口説かれた委員もいたという。「経営委員長の人事でこれほど精力的に総務省が動くのは前代未聞だ」。NHK関係者は驚きを隠さない。

 石原氏は経営委員長就任時の記者会見で「NHKは大変重要な時にある。放送と通信の融合は待ったなしの課題。それに伴って受信料制度の問題もある」と発言。受信料制度の改正に意欲を示した。経営委員会は会長の任免権を持つ。石原氏は来年1月に任期を迎える籾井氏の再任を阻止し、意中の会長候補を擁立する役割を期待され、委員長に送り込まれたと言われている。

 さらに総務省は6月14日付で、放送行政を統括する総務省情報流通行政局長に南俊行氏が就任する人事を発表。南氏は2007年、総務相だった菅義偉・現官房長官から、NHKを担当する放送政策課長を外された苦い過去がある。

 菅官房長官は当時、受信料の2割引き下げとセットで受信料の完全義務化の法案化を進めていたが、めどが立たず、担当の南氏を更迭した。「官僚の世界では2度目の失敗は“終わり”を意味する。南氏は死にもの狂いで受信料制度の改正に取り組むだろう。それを狙った人事だ」(総務省幹部)。

建設費1700億円のカラクリ

世界で定着するテレビ番組のネット同時配信
●各国の主な公共放送・国営放送の比較
日本
公共・国営放送 NHK
収入源 視聴者からの受信料
総収入 6868億円
(2015年度)
受信料など年間支払額 1万5120円(衛星契約は2万6760円)
ネット同時配信、無料の見逃し視聴など  × 
英国
公共・国営放送 BBC
収入源 視聴者からの受信許可料
総収入 48億500万ポンド(2014年度、約6431億円)
受信料など年間支払額 145.5ポンド(1万9293円)
ネット同時配信、無料の見逃し視聴など  ○ 
ドイツ
公共・国営放送 ARD
収入源 視聴者からの負担金+広告収入
総収入 64億1230万ユーロ(2015年度、約7272億円)
受信料など年間支払額 210ユーロ
(2万3814円)
ネット同時配信、無料の見逃し視聴など  ○ 
フランス
公共・国営放送 FT
収入源 視聴者からの負担金+政府補助金+広告収入
総収入 28億700万ユーロ(2014年度、約3183億円)
受信料など年間支払額 137ユーロ
(1万5536円)
ネット同時配信、無料の見逃し視聴など  ○ 
韓国
公共・国営放送 KBS
収入源 視聴者からの受信料+広告収入
総収入 1兆5618億ウォン(2015年度、約1405億円)
受信料など年間支払額 3万ウォン
(約2700円)
ネット同時配信、無料の見逃し視聴など  ○ 
中国
公共・国営放送 CCTV
収入源 広告収入
総収入 不明
受信料など年間支払額 なし
ネット同時配信、無料の見逃し視聴など  △ 

 政府の強硬策で外堀を埋められ、孤立する籾井氏。会長再任を目指し、実績のアピールに力を入れ始めた。

 その一つが、8月30日に発表した東京・渋谷の放送センター建て替え計画だ。2020年から現在のセンターを順次解体し、3棟のビルを建設する。2036年までにすべての工事を終わらせる予定で、建設費は約1700億円。受信料収入の一部を積み立ててきた建設積立金が2015年度時点で1627億円あり、それを建設費に充てる考えだ。

 従来の計画では、約3400億円の費用がかかるとしてきた。コスト削減に成功したように映るが、今回の計画では「将来の放送サービスの内容が不確定」として放送設備の費用は含まれていない。従来は放送設備費を1500億円程度と試算しており、総額ではほとんど変わらない可能性が高い。

 また、籾井氏は最近になって部下に受信料を約3%下げた場合の収入予測をシミュレーションするよう指示した。小幅な減収で痛みを最小限にとどめる一方で、政府主導の義務化論の気勢をそぐ狙いがあるとみられている。

 籾井氏が必死にもがく裏には、NHKの複雑な事情が見え隠れする。受信料の支払率は全世帯・事業所の77%。全世帯に受信料の支払いを義務化すれば、支払率は100%に近づくため、事業収入は2015年度の6625億円から大幅に増えることになる。未払いに罰則を科す税金のような扱いになれば、契約締結のための戸別訪問などの営業費446億円も必要なくなる。

 義務化はNHKにとって歓迎すべき話に見えるが、放送メディアを専門とする立教大学の砂川浩慶教授は「実際はその逆」と指摘する。

 NHKの受信料は地上波契約と衛星契約に分かれ、後者は月約1000円分高く設定されている。2006年に全国で始まった地上デジタル放送を機に、衛星放送の視聴可能世帯は飛躍的に増えた。一方、NHKの契約世帯のうち衛星契約は全体の49%にとどまっており、衛星への契約切り替えを進めるだけで受信料を増やせる環境にある。

 受信料の口座引き落としやクレジットカード払いが浸透したこともNHKにはプラスに働く。「対面での支払い方式では不祥事の際に支払い拒否が起きたが、口座引き落としでそれが難しくなり、収入が安定するようになった」(砂川教授)。実際のところ、籾井氏が会長に就任して以降、不適切発言を繰り返したのにもかかわらず、受信料収入は年々増えている。