好景気だった入社当時、こんな未来が来るとは想像すらできなかった。原発事故、役員解任、早期退職…。それでも男たちは前を向く。いかに「ゆでガエル」から脱するか。三者三様の働き方を追ってみた。

 ヴィィィーン、スバババッ…。

 褐色に日焼けした男が、エンジン付き芝刈り機を手に持ち、2mはあろうかという雑草を、なぎ倒していく。額から流れる汗が止まらない。

 「そこはこうやって刈ったほうがいい」

 慣れない手つきの若者に声をかけた後、再び何かに取りつかれたように雑草の林に挑んでいく。

東京電力・福島復興本社の田村政浩さんは、役場の要望に応じて毎日のように、被災者が帰還する日のために草を刈る

 福島第1原子力発電所から約20km。福島県浪江町の居住制限区域で、東京電力ホールディングス(HD)福島復興本社・復興推進室次長の田村政浩さんはほぼ毎日、草を刈っている。山梨から異動してきたのは昨年7月、55歳の時。東日本大震災の発生時に50歳以上だった管理職500人を、福島専任にする方針に沿ったものだ。

 この日は、復興推進室の同僚に加えて埼玉から来た東電社員男女8人とチームを組んだ。田村さんは関東全域から交代で現地にやってくる社員の面倒を見ている。

 役場の依頼に応じて、震災が起きてから人の手が入っていない町有地や約90カ所ある墓地など至る所で除草をする。がれきや家具、家電、食料品、衣類などあらゆるものが散乱したままの、住宅の清掃も仕事のうちだ。いずれも被災者がいつか帰宅したいと思えるようにするためである。

 「福島への異動辞令に違和感はなかった。むしろ、行かなければと思っていた」と田村さんは話す。初めて訪れた2013年、福島第2原子力発電所がある楢葉町で被災者の線量測定を手伝った。そこで、容赦ない罵声を浴びせられた。住民の怒りに直接触れた時、頭を殴られたようなショックを受けた。

 18歳で東電に入社し、技術者として電柱の移設などの配電関連の工事に携わってきた。原発に関わったことはなく、別世界の話だった。先輩社員と同じように、平穏に会社人生を終えられるものだと思っていた。

 「東電が憎いはずの被災者から、加害者の私たちが感謝されることもある。それが今は一番大切なこと。とにかく現場にいたいんです」(田村さん)

 高度成長を支えた潤沢な電力。それを作ってきた原発が事故を起こした。福島専任を命じられた50代社員は、高度成長のツケを払わされているとも言える。だが、田村さんは事故をひとごととせず、自らの問題として受け入れて復興の推進に全力を注ぐ。来年、57歳で役職定年を迎える。60歳の定年まで、求められれば福島で復興に携わり続ける覚悟もある。

 もちろん、全ての社員が前向きに取り組めているとは限らない。復興本社の社員を知る人は、「社員の中には『手伝ってやっている』という気持ちが透ける人もいる」と話す。

 運命を受け入れた田村さんの姿は、原発事故を起こした東電の社員という特殊性はあるにせよ、多くの「ゆでガエル世代」にとって、何を生きがいとして仕事人生を全うするかを考えるうえで、一つの道を示している。