社内通貨「ウィル」で仕事をやり取りするディスコ。この会社には、命令でやらされる仕事はほぼない。代わりに必要なのは、自分で仕事を探すやる気とそれをやり遂げる力。頑張るほど報酬が増える仕組みの下で、やる気に火がついた6人の社員の実録。
「来週やりたいことがある」としてフリーの立場を“落札”した松本さん。同僚から頼まれている仕事もこなしてウィルを稼ぐつもりだという(炎=-M-I-S-H-A-/Getty Images(以後すべて同じ))
呉工場
松本晃子さん(56歳、仮名)
ウィルを払って自由を得る
「田中さん、バラシです」「松森さん、厚みです」──。5月上旬のとある夕方。ディスコの主力生産拠点である呉工場(広島県呉市)では、切断用砥石の製造ラインで翌週に誰がどの工程を担当するかを決めていた。ホワイトボードに示された業務の中から、翌週に自分がやりたい仕事を一人ひとり選んでいく。バラシとは最終の検査、厚みとは砥石の素材の測定工程のことだ。
作業ごとに、1週間分の報酬額が決まっている。単位は「Will(ウィル)」。ディスコの社内通貨だ。原則、1ウィル当たり1円の価値がある。この時、バラシなら7万2000ウィルの報酬だったが、価格はこの作業をできるスキルを持った人の数などで上下する。
翌週にたくさん稼ぎたい人は単価の高い仕事を選び、あまり無理したくない人は単価が安くても負担の軽い仕事を選ぶ。仕事を選ぶ順番は入札で決める。最も多いウィルを提示した人から、好きな仕事を選んでいく仕組みだ。
自分の仕事は自分で決める。これがディスコの超個人主義経営の神髄だ。そのための仕掛けがウィル。社内通貨をやり取りすることで、頑張るほど報酬が増えるから、社員は仕事に対するモチベーションを高めていける。
ウィルを稼げるのは生産ラインの中だけではない。目先のウィルにとらわれず、「より稼ぐ」ために自分のやりたいことを実践するための仕掛けもある。
呉工場の精密ダイヤ製造二部の松本晃子さん(56、仮名)の例を見てみよう。松本さんはこの日、仕事を選ぶ順番を決める入札に1万3750ウィルを投じて応札した。狙った仕事は「フリー」。文字通り、勤務時間に好きなことをすることが仕事となる。
松本さんはサボるために「フリー」を狙ったわけではない。この時、松本さんの職場では生産効率を上げるためにフロアをきれいに保つことが改善のテーマだった。
「来週はそれぞれの作業現場で視界をさえぎるものを動かしたい。机をよけて何もない状態にしてみたり、スクリーンを別の位置に動かしてみたりして、見通しをよくしたい」。日々、働く中で気づいた改善案を実際に試してみるのだという。
入札の結果、松本さんは早い順番を押さえることができ、狙い通り「フリー」を得ることができた。ただ、ラインに入って製品を作るわけではないので、報酬はゼロだ。それでも松本さんが選んだのは、しっかり稼げる算段があるからだ。
呉工場では松本さんのように自主的な改善提案について、1件当たり1万ウィルが支払われることになっている。松本さんは次週に4つの改善提案をするつもりだという。つまり、入札に1万ウィル以上をかけても十分にもうかる。まずは、確実に「フリー」の時間を得ることが、この日の松本さんには必要だったわけだ。
ディスコではこうした業務の効率を上げるために無駄を見つけて改善したり、新たな方法を作り出したりすることを「メソッドチェンジ(MC)」と呼ぶ。一般的なメーカーなら改善提案に近い活動だ。提案すれば、ウィルが増える。だから、ディスコ社員のカイゼン意欲は高い。
そしてMCを使ってさらにウィルを稼げる仕組みもある。
それぞれが次週担当する仕事を決めるオークションが毎週行われる(写真=田頭 義憲)
人財部
江口麻奈さん(32歳)
カイゼンプレゼンの達人
「喫煙者の皆さん! ちょーっとたばこ休憩、のつもりが、たばコミュニケーションやスマホに没頭! 時計を見るのを忘れて、気づいたら喫煙所に長居してることって、ありませんか?」
東京・大田のディスコ本社6階。5月下旬、軽快な語り口で関家一馬社長を含む約150人の社員に語り掛ける「プレゼンの達人」の姿があった。保健師として社員の健康診断などのフォローに当たる人財部安全衛生チームの江口麻奈さん(32)。この日のプレゼンでは、喫煙室で休憩する社員に滞在時間を気づかせる施策を紹介した。
PIM対戦はウィルがかかるだけに真剣だ。江口さんは前日会議室で2時間、練習して臨んだ(写真=2点:竹井 俊晴)
まるでアナウンサーのような軽妙なプレゼンは続く。「実はこのたばこ休憩、席を外している間にほかの人が電話を取り次いだり、自分だけでなく周囲の残業にも影響が!」
そこで江口さんは、禁煙を促す1分間の動画5種類を用意。これを喫煙室のモニターで繰り返し流すことを提案した。1本1本の動画の背景を異なる色にすることで、同じ色の映像を見たら5分たったと分かる仕組み。江口さんはプレゼンの最後をこう締めくくった。
「あれ、これさっきも見たな! そう思ったら5分経過のサインです。そろそろ席に戻りませんか? 注意、ちょこっと休憩! 以上です」
これもディスコでいうMCの一つだ。そして、この日行われていたのは別の部署の社員とそれぞれの改善施策を競い合う対抗戦だった。名づけて「PIM(パフォーマンス・イノベーション・マネジメント)対戦」。部門対抗戦にすることで、より多くの改善提案を出してもらおうという仕掛けだ。関家社長が「業務の半分をPIM活動に充てるのが理想」と話すほど、重視している。
ここでもウィルが大きな動機付けになる。この日は、社長を含む聴衆が、江口さんの所属する人財部と、対戦相手の情報システム部のどちらのMCがよかったか、その場で投票し自分のウィルを賭けた。得票数が多かった発表者と発案者や部署に、褒賞としてウィルが支払われるほか、賭けた社員もウィルを手にすることができるため、見ているほうも真剣だ。
プレゼン時間は1分以内に制限。そのため改善そのものに加えて、内容をコンパクトに、インパクトを持って伝えられるかが勝負となる。プレゼン力の高い江口さんは、自分で発案した改善だけでなく、同僚が出した提案内容のプレゼンを請け負うこともある。作った原稿を読んでみて、周囲から助言をもらったり、発表日前日には会議室で2時間練習したりと、とにかくPIM対戦で勝つための努力を惜しまない。
もっとも、改善内容を次々に生み出すだけでは、業務の効率化には役立っても、新しいビジネスにつながるとは限らない。
それでは新規事業を立ち上げたい時はどうするのか。ディスコでは普通の会社のように上司の決裁は要らない。ここでもカギを握るのはウィルだ。
レーザ技術部
森山伸一郎さん(41歳、仮名)
開発案件に「エンジェル投資」
「本日、4月分として総額4000万ウィルを配当いたしました」──。
今年5月中旬。レーザ技術部イノベーショングループの森山伸一郎さん(41、仮名)は、社内の“投資家”82人にこんなメールを送った。森山さんは社内から幅広く開発費用を集める仕組み「インベストメントボックス(IB)」を活用し、レーザー加工装置の新製品を開発したばかり。4月にようやく累積損失が解消し黒字化したため、約束していた純利益の20%を配当に回した。
IBを使えば上司の承認なしで大規模な開発が可能。このレーザー加工機もIBの成果だ(写真=村田 和聡)
IBはその名の通り、プロジェクトや活動などの案件へ「ウィルによる出資」を募るシステムだ。必要額や配当方針などに賛同すれば、部署が違っても誰でも出資できる。技術者からすると、カネさえ集まれば、上司の承認がなくても好きな開発ができる画期的な仕組みだ。
森山さんは2013年に1件目のIBを立てた。それ以降、遂行してきたプロジェクトは10件以上。今では「どうやったら売れるのか、どういうストーリーを描いているのかを投資家に説明することが大事」と、およそ技術者らしからぬ口調で話す。投資家とはもちろん、IBに賛同して、ウィルを投じる社員のことだ。
パワー半導体材料を作る技術開発のために立てた初のIBでは、1億ウィルの調達を目指した。ウィルをたくさん持っていそうな所属長や部長から、知り合い、同僚・仲間まで、社内の“投資家“を数えきれないほど回ったが、出資者が見つからない苦い経験をした。
「カネを集めるって本当に大変」(森山さん)。この時は結局、2000万ウィルを自腹で出資した。そのあと立てたIBでは途中で資金が足りなくなり、“増資”するなど、常に開発費の調達が頭の片隅にあった。
こうした経験を経て、「集まったカネをいかに効率よく使って、開発期間内に成果を出すかを考えるようになった」と森山さんは振り返る。技術者が自分で投資家を説得すると「自分でやる、と言って集めた以上、誰のせいにもできない背水の陣。技術だけでなく、売れるまで責任を持つようになる」。おのずと技術者の独り善がりではない、顧客が欲しがる製品に仕上がっていく。
IBは誰もが自由に提案できるが、内容には縛りがある。その規範となるのが、「ディスコバリューズ」。1997年に溝呂木斉現会長と関家氏を中心に制定した企業理念だ。その項目数は200以上。ディスコ社員の行動規範といえるものだ。
そこにはディスコという会社が目指すべき方向は「高度なKiru・Kezuru・Migaku技術によって遠い科学を身近な快適につなぐ」ことであると記されている。事業領域は「切る」「削る」「磨く」。これ以外の事業には手を出さない、ということだ。ほかには「常にベストを尽くす、仕事を楽しむ」「『誰』が正しいではなく、『何』が正しいか」など、どう仕事と向き合うべきかも書いてある。これにのっとってさえいれば、何でも提案し、実行していい。
ディスコのエース技術者である森山さんは、自身のプロジェクトからの配当や特許収入などで、個人ウィルの会計には余裕がある。そのもうかったウィルを今、どんどんIBへの投資に回している。それは、若手を含む多くの技術者に自分が経験したように販売まで責任を持つ開発プロジェクトを体験し、成長してほしいからだ。
「今はまだ、総投資額の半分以上は自分がかかわったプロジェクトだが、これからはどんどん自分以外のプロジェクトに投資していきたい」。社内の「エンジェル投資家」になるつもりだ。
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