バランスの良い食事を取っていると考えられていた日本人も、実は多くが栄養不足だ。そんな状態に商機を見いだし、多くの企業が潜在市場を掘り起こそうと動き出した。カギとなるのは、普段の食生活の中で、簡単に、完全な栄養を摂取できる仕組みだ。
この4月、自動車販売会社の栃木トヨタ自動車の本社内に、8台のコーヒーマシンが設置された。カプセルコーヒーの抽出機器「ネスカフェ ドルチェ グスト」である。ただし、抽出するのはコーヒーではない。毎日の生活に欠かせない栄養素入りの抹茶だ。
ネスレ日本が開始した「ネスレ ウェルネス アンバサダー」という会員サービスで、不足しがちな栄養素を抹茶カプセルに入れて定期的に届ける。会員は、スマートフォンなどから専用サイトにアクセスし、前日の食事内容に関する質問に答えるか、前日夜9時までに朝昼晩の食事の写真を送っておくと、栄養バランスが異なる7種類のカプセルから最適なものを推奨してくれる。1日1杯、この抹茶を飲めば、必要な栄養素を補えるというのがウリだ。
主にオフィス向けからスタートしており、同サービスをいち早く導入した栃木トヨタ総務課の天貝瞳氏は、「誰もが毎日の栄養が足りているのかどうか、漠然とした不安を抱えている。健康増進のきっかけになれば」と期待する。機器本体と各種サービスは無料で、会員が支払うのは1杯約100~約120円のカプセル代金だけ。栃木トヨタでは、約120人の本社社員の費用をすべて、会社が負担することにした。
ネスレ日本・Eコマース本部ダイレクト&デジタル推進事業部の津田匡保部長は、「日本人でも2人に1人は十分な栄養を取れていない。しかも、具体的に何が足りないのか分かっていない。食事のチェックと栄養補給をセットにしたサービスへの需要は大きい」とみる。今年3月に会員募集を始めたところ、計画の約2倍の応募があった。
「栄養不足」が生む新市場
欧米諸国と比べて、日本人は栄養バランスの良い食事を取っていると考えられてきた。平均寿命は世界最長で肥満率は先進国で最下位だ。だが、実は多くの日本人は栄養が不足している。厚生労働省の「国民健康・栄養調査」(2015年)によれば、カルシウムや亜鉛、カリウム、ビタミンAなどの栄養素の摂取量が、推奨量に到達していない。
PART1~PART2で見てきたように、米国や欧州では健康や環境への意識の高まりから、新たな食品の開発競争が過熱している。それは、工業化された食料システムが可能にした栄養の過剰摂取と、それに伴う環境負荷の増大に対するアンチテーゼともいえるものだ。一方、日本ではむしろ、栄養不足がイノベーションをけん引し始めている。

●ベースパスタで摂取できる栄養素一覧

この状況をビジネスチャンスと捉えるのはネスレ日本だけではない。今年2月、「完全栄養食」と称した「ベースパスタ」が発売された。開発したのは、IT大手ディー・エヌ・エーの元社員の橋本舜氏が立ち上げたスタートアップ、ベースフード(東京都世田谷区)だ。橋本社長は厚労省が定める健康な生活に不可欠な31種類の栄養素すべてをパスタに配合。発売後1カ月で9000食をインターネットで販売した。年内には米国でも販売を始める予定だ。
橋本社長は「日本では、栄養摂取という生きるための行為が、ファッションのようになっている」と、食の消費の変化を指摘する。開発当時、米国では粉末を水に溶かして飲む完全栄養食「ソイレント」がヒットし、同様のコンセプトは日本でも受け入れられると考えた。しかも、主食でそれを実現することで、完全栄養食をより身近な食品にすることを狙った。現在は食品メーカーやベンチャーキャピタルが関心を示し、出資交渉を進めているという。
ベースパスタが手本にしたソイレントの日本版と呼ばれる商品を手掛けるスタートアップもある。飲料タイプの完全栄養食「COMP」を手掛けるコンプ(東京都千代田区)だ。食事の時間を削ってでも仕事や趣味に没頭したい人からの支持を集めている。栄養状態を完璧に保ちたいという消費者の欲求は、確実に顕在化してきている。
Powered by リゾーム?