日本郵政が2015年に買収した豪物流企業を減損処理し、初の最終赤字に転落した。巨額M&Aを検証すると、杜撰(ずさん)な意思決定の経緯や将来見通しの甘さが浮かび上がる。“国営企業”の失敗は、海外M&Aブームに沸く日本企業に重い教訓を残した。

トール・ホールディングスの減損処理について説明する日本郵政の長門正貢社長(左)と日本郵便の横山邦男社長。2人とも民間銀行から郵政グループに転じた(写真=北山 宏一)

 「少し価格が高かった」。4月25日、日本郵政本社で会見に臨んだ長門正貢社長と傘下の日本郵便の横山邦男社長は、幾度となくこの言葉を繰り返した。日本郵政は2015年に約6200億円を投じて豪物流会社「トール・ホールディングス」を買収。国際物流に活路を求めたが、当初見込んだ利益を上げられず、わずか2年で大規模な減損処理を迫られた。

 4000億円もの損失を計上し、07年の民営化後で初の最終赤字に転落するという非常事態にもかかわらず、長門・横山両氏に悲壮感はなく、ときに笑みも浮かべていた。両氏ともトール買収が決まった後で郵政グループの経営に参加しており、買収時の意思決定に関わっていないという事実が、その表情を晴れ晴れとしたものにしているようにさえ見えた。

 だが東芝に続き、海外を舞台にした大型M&A(合併・買収)の失敗が表面化した今回の問題は根深い。「過去のレガシーコスト(負の遺産)を一気に断ち切る」(長門社長)と言って、簡単に忘れ去ることができない案件のはずだ。

 この失敗の本質を見極めるには買収に至る経緯を詳細に振り返る必要がある。民営化から10年がたつ今も日本郵政に根強く残る「国営企業」の体質が、失敗の土壌になっている。

 それだけではない。同社が海外戦略ではまった落とし穴は、多くの日本企業に共通するリスクだ。今後、さらに他の企業で巨額減損が表面化する可能性は小さくない。

西室氏が描いた成長戦略

 「できるだけ早く、大型のM&Aを実現できるよう検討してください」。すべての始まりはこの一言だった。13年6月、日本郵政社長(当時)に就任したばかりの西室泰三氏(元東芝会長)は、グループ幹部を一堂に集めて企業買収の検討を指示した。

 12年末に発足した第2次安倍政権の要請を受けて社長に就任した西室氏は、「株式上場の実現」という使命を帯びていた。郵政株が魅力的であると投資家に認識させるため、西室氏が成長戦略として選んだのがM&Aだった。

 1871年に明治政府が始めた郵便事業を発祥とする日本郵政は、今なお「親方日の丸」を象徴する会社で、典型的なドメスティック企業だ。国際郵便などは取り扱ってきたものの、基本的に国内でしか事業展開してこなかった。しかも、主力事業は金融と郵便で、これ以上の成長が期待しにくい。宅配便事業も、日本国内でヤマト運輸などライバルの後塵を拝し続け、お世辞にも成長事業とは呼べない状況だった。

 一方、金融機関としては国内最大級の資産規模を持ち、内部留保は兆円単位で積み上がっていた。その結果、西室氏の描く成長戦略は「市場と時間を買う」M&Aが軸となり、いつしか買収自体が目的化していったのだ。

消えた佐川、日立物流買収

 郵政グループが最初に目をつけたのが佐川急便を傘下に持つSGホールディングス(HD)だった。旧日本郵政公社時代から協力関係にあり、日本郵便と合わせれば宅配便事業でトップのヤマト運輸に匹敵する企業になれるという皮算用も働いた。しかし、SGHDは非上場のうえ、民業圧迫と批判されかねず、検討段階で「実現が難しい」として立ち消えとなった。

 次に検討したのが日立物流。日本郵便が手薄な企業間物流に強いのは魅力的だったが、肝心の日立製作所に断られ、幻の内に消えていった。

 日立物流の買収交渉と並行して、アドバイザーに就いていた金融機関が挙げた候補の中にあったのが、トールだった。日本郵便の髙橋亨社長(肩書は当時。現在は会長)が同社の買収計画を携え、郵政社長室を訪れたのは2014年秋。西室氏が即座にゴーサインを出すと、トールは「トパーズ」という暗号で呼ばれ、交渉が一気に加速した。

 20万人以上の正社員がいる郵政グループで主体的に交渉に携わった幹部は、西室氏と日本郵政の鈴木康雄上級副社長、そして髙橋氏だけ。実務部隊を含めても10人に満たないチームだった。鈴木氏、髙橋氏はともに旧郵政省キャリア組。東芝から幹部社員を連れてこなかった西室氏は、経営の細部を官僚出身者に頼るしかなかった。

 15年の1月下旬。当時79歳の西室氏は海外投資家回りの強行日程で風邪をこじらせていたが、体調不良を押してまで会食に出向いた日がある。都内某所で待っていたのは、トールのブライアン・クルーガー社長(当時)。極秘に来日したクルーガー氏は、人目を避けるため東京・霞が関の日本郵政本社には寄らなかった。

 会食中、西室氏は「買収しても経営陣を代えるつもりはない」という意思を示し、郵政グループ最大のM&Aは事実上、この時に決まった。これも「任せる経営」と言ってしまえば聞こえはいい。しかし、数カ月間にわたる交渉の過程で、買収後の経営の絵姿を踏み込んで議論した形跡はなかった。

「三村さんが激怒している」

 この極秘の買収計画は、郵政グループのコーポレートガバナンス(企業統治)問題も浮き彫りにした。

 「トールの件で、三村さんが激怒している」──。トール買収を発表した直後、郵政グループ幹部の間で、こんな話題が取りざたされた。日本郵政の社外取締役は、三村明夫・新日鉄住金相談役名誉会長などそうそうたる財界人・有識者で構成されている。そんな社外取締役を交えて議論することもないまま、買収は決断された。

 生き馬の目を抜くM&Aの世界だからこそ、トップが即断即決で買収案件をまとめることは少なくない。だが強いリーダーシップは、「独断専行」と紙一重でもある。成功すれば褒めたたえられるが、一度失敗の烙印を押されれば、その責任は回避できない。今回は髙橋氏が代表権を返上したが、肝心の西室氏は体調不良で既にグループを去っている。

 トール買収の原資は銀行から借り入れをせず、手元資金で全額賄った。その出所は、同グループのゆうちょ銀行の内部留保を還流させて捻出したものだけに、「我々は都合のいい財布じゃない」(ゆうちょ銀関係者)との声も出ていた。さらに今回、トールと直接関係のない役員まで一部報酬返上という措置になったことについて、「以前からあるグループ内の亀裂が、今回の一件で確実に大きくなった。今後はさらにバラバラになるだろう」(郵政グループ幹部)との声も漏れる。

 今回の減損処理を主導したのは横山氏だ。06年に三井住友銀行から日本郵政に転じ、09年の民主党への政権交代で一度はその座を追われたが、16年に返り咲き、日本郵便の社長に就いた。ただ「今回は帳簿を奇麗にして損失を確定しただけ。実務ベースでトールを再建するのは難しく、頭の痛い問題だ」(同幹部)との指摘もあり、今後も難題が待ち受ける。

トールの減損処理で、初の最終赤字に
●日本郵政の経常収益と純損益の推移
日本郵政前社長の西室泰三氏は体調不良で2016年に退任した(写真=北山 宏一)
鈴木康雄・日本郵政上級副社長は元総務次官で、官僚組のトップ(写真=時事)
日本郵便の髙橋亨会長は、トールの責任を取り、代表権を返上した(写真=北山 宏一)

日経ビジネス2017年5月8日号 8~13ページより目次