深圳の1週間はSVの1カ月

 HAXの拠点は深圳市内の華強北地区にある。スマートフォンから怪しげなコピー商品までありとあらゆる電子機器や部品が売られている場所だ。東京・秋葉原の規模を何十倍にも大きくした場所と考えると分かりやすい。試作品を作るのに必要な部品や材料はすぐにそろう。

 深圳には、ハードウエアの開発に不可欠なプリント基板の製造や試作品の製造を請け負う企業も多数ある。立ち上がったばかりのベンチャー企業でも、トライ&エラーを高速かつ安価に繰り返すことができる仕組みができ上がっている。「深圳での1週間は、シリコンバレーでの1カ月に匹敵する」。HAX創業者のシリル・エバーズワイラー氏はハードウエア製造拠点としての深圳の強さをこう表現する。

 「世界の工場だった深圳は、世界からメイカーが集まる場所に変貌した」。チームラボMake部発起人で『メイカーズのエコシステム』の著者でもある高須正和氏はこう語る。個人的な趣味の延長線上でものづくりをする人たちを、一般的な製造業を意味する「メーカー」と区別するため「メイカー」と呼ぶ。

 コンピューターが1台あればできるネットのビジネスと異なり、ハードウエアのビジネスには製造や販売といったプロセスが発生し、大きな投資も必要になる。そのため、良いアイデアがあったとしても、実際に製品を作り、一般の人々に販売するビジネスに仕立て上げるのはかなり難しかった。

 ところが、3Dプリンターなどのデジタル工作機械や、ネット上で投資を募るクラウドファンディングの登場により、個人でも製品を作って、販売することが容易になった。深圳のエコシステムは、こうしたメイカーやそこからさらに一歩進んだハードウエアスタートアップたちを引き寄せる。

人口は30万人から30倍超に

 深圳になぜこのようなエコシステムが生まれたのか。それはこの町の歴史と切り離して考えることができない。

 1978年、事実上の最高指導者だった鄧小平氏は改革開放路線へと政策のかじを切り、宝安県の一部だった深圳を市に昇格させ経済特区に選んだ。

1人当たりGDPでは北京、上海を上回る
●深圳市とほかの大都市の比較
1人当たりGDPでは北京、上海を上回る<br /> <span>●深&#22323市とほかの大都市の比較</span>
40年弱で人口は30倍以上に
●定住人口
40年弱で人口は30倍以上に<br /> <span>●定住人口</span>
出所:各市統計局
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 79年時点で上海市の定住人口がすでに1000万人を超えていたのに対して、深圳市の人口はわずか30万人。それが40年弱の間に30倍以上の1190万人に膨らんだ。今や、北京や上海に匹敵する大都市に成長した。

 80年代末から深圳を見てきた評論家・翻訳家の山形浩生氏は「当時は本当に何もなかった。人工的に作られた都市がここまで発展するとは思わなかった」と話す。

<b>深&#22323市の夜景。かつては小さな漁村にすぎなかったが、鄧小平氏の改革開放政策の下で経済特区となってから、急速に発展を遂げた</b>(写真=Stephen J. Boitano/Getty Images)
深圳市の夜景。かつては小さな漁村にすぎなかったが、鄧小平氏の改革開放政策の下で経済特区となってから、急速に発展を遂げた(写真=Stephen J. Boitano/Getty Images)

 深圳は香港に隣接する地の利を生かし、様々な商品を生産する「世界の工場」として発展した。その過程で、全国から多くの人が深圳に移り住んだ。昔から地元に住んでいた人はほとんどおらず、いわばほぼ全員が“移民”の町だ。

 深圳に本社を置くスマホメーカー、酷派集団(クールパッド)の劉江峰CEO(最高経営責任者)は「だれもが移民で、夢と理想を持って深圳にやって来た人たちだ」と話す。

 隣接する香港や広州では地元の広東語がよく使われているが、深圳で耳に入る会話はほとんどが普通話(標準語)。誰もが「よそ者」扱いされることなく、自分の実力次第でのし上がれる環境が40年にわたる歳月の中で育まれた。

 深圳職業技術学院副教授の王雪氏は「若い人が多いのも特徴。政府が市場や民間企業を尊重している点も強みだ」と話す。チャットアプリのウィーチャット(微信)で知られる騰訊控股(テンセント)や通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)、電気自動車の比亜迪(BYD)、不動産大手の万科企業といった民間企業はいずれも深圳で生まれた。商用ドローンのシェアで世界首位のDJIも深圳生まれの企業である。

<b>ドローン(小型無人機)で世界最大手のDJIも深&#22323の企業だ</b>(写真=町川 秀人)
ドローン(小型無人機)で世界最大手のDJIも深圳の企業だ(写真=町川 秀人)
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 世界の工場の役割を担うことで部品産業や組み立て工場が集積したことと、“移民”を受け入れる文化が、深圳を「メイカーのハリウッド」に育て上げた。そして、「メイカーたちの活動の中からイノベーションが生まれてくる」(高須氏)。

 この「イノベーション」こそ中国政府が今、最も欲しているものだ。李克強首相は2015年の全国人民代表大会(全人代、日本の国会に相当する)で「大衆創業、万衆創新(大衆の創業、万人のイノベーション)」を打ち出した。創業とイノベーションという「双創」を重視する政策だ。

 背景には、人件費が高騰し、従来の成長モデルがおぼつかなくなってきたことが挙げられる。低い賃金を生かして製品を組み立て、その製品を海外に輸出するビジネスは立ちゆかなくなりつつある。「世界の工場の終焉」は以前から指摘されてきたことだが、かつてのような高度成長が消えたことで切迫度が増している。

「山寨王」は空洞化を懸念

 トランプ大統領の保護主義的な政策は、中国の製造業の空洞化をさらに進めかねない。「近い将来、ハイエンドの製造業は米国などの先進国に回帰するだろう。低付加価値品の製造は東南アジアやインドなど、より賃金の安い国に行ってしまう。中国国内の製造業が空洞化してしまったら、13億人はどうやって食べていけばいいのか」。華堅集団の呉燁彬氏はこう懸念する。

 呉氏は米アップルが10年に初代iPadを発売したわずか60日後に、米インテルのチップを搭載するiPadそっくりのタブレットを市場投入したことで知られる。

 中国に詳しいジャーナリストの高口康太氏は近著『現代中国経営者列伝』の中で呉氏を取り上げ、「山寨王」と評した。「山寨」は携帯電話などの模倣品を指す言葉だ。その山寨王までもが、中国の製造業の未来を不安視する。

 このため呉氏は、新規分野への参入や海外進出を進め、事業の強化を図っている。例えば、中国セキュリティーソフト大手の奇虎360科技と組んで、カーナビゲーションシステムやバックミラー型ディスプレーなど、車載デバイス市場に進出した。

 また、アフリカのエチオピアでパソコンなどの組み立ても始めた。エチオピアでは電柱型のコンテンツ配信スタンドを製造・設置しており、将来的にはEC(電子商取引)に結びつける構想もある。

 同様に、欧州向けを中心にスマホ用のカバーを製造するアッシュクラウドは、付加価値が決して高くないこの商品において、生産効率を高めるイノベーションを武器に競争力を保とうとしている。

 工場の従業員一人ひとりの生産性や水の使用量、エレベーターの稼働状況まで、すべてを把握できるシステムを自社で開発。縦型に置かれたディスプレーやタブレットなどに、作業の効率性が一目で分かる画面を表示している。同社が開発した生産管理システムは外部企業も使い始めており、欧米からも注目を集めているという。

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