認知症が社会問題化する中、地域や職場で患者を支える仕組みが整い始めた。全てのステークホルダーが「できること」をすれば、道は開ける。

若年性認知症の丹野智文さんは、認知症当事者からの発信の重要性を強調する(写真=陶山 勉)

 2月17日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールは熱気に包まれていた。開催されたシンポジウムのテーマは、「認知症のわたしたちが語り合い、伝える」。認知症になっても安心して暮らせる街づくりに向けて、地域や社会に求めることを、患者自らが発表した。

 終盤には、認知症の当事者10人ほどが壇上に上がり、一人ずつ思いの丈を語った。「いつもは付き添いがいますが、『お母さんならできるよ』って子どもから言われて、勇気を振り絞って1人で電車に乗って来ました。本当にできてうれしい」。茨城県から来た女性(68)は、こう笑顔を見せた。認知症と診断されてから、6年以上になるという。

 認知症はかつて、家族や本人が病を隠すことが当たり前だった。偏見は今も根強くあるが、先進的な地域では患者本人が暮らしていく上で必要なことを主張する動きが出てきた。その一つが、シンポジウムでも紹介された仙台市での取り組みだ。

 同市で暮らす丹野智文さん(43)。39歳のときに若年性認知症と診断された後も、職場の理解の下、働き続けている。

 そんな丹野さんは2015年春から月1回、認知症患者の相談に乗り始めた。その経験を生かして、16年からは認知症の人同士が話し合う「本人ミーティング」に携わってきた。

 そこで丹野さんがこだわったのは、必ず患者本人だけで話すこと。「家族は本人がしゃべるのが少し遅れると、ついつい隣で言葉を補ってしまう。最初は緊張していても、リラックスすれば話せるようになってくる。認知症になるとちゃんとしゃべれなくなると決めつけてしまっていないか」と語る。

 回を重ねることで浮き彫りとなったのは、本人にとって不合理なことの多さだ。例えば、障害者手帳の期限が切れた人が、役所の窓口で「はがきで知らせてほしい」と頼むと、「覚えていてください」と素っ気なく返された。その覚えることができなくなった患者からすれば、心の傷は大きい。「認知症の当事者が語ることで、よりよく暮らせるための街づくりが進むはずだ」と丹野さんは話す。

 今年3月には、本人ミーティングで得られた知見を発信していくため、「ワーキンググループみやぎ」を発足させた。15年1月に政府が発表した「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」も、こうした動きを後押しする。そこで掲げられている理念は認知症の人の意思が尊重されること。そして、できる限り住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けることだ。