昨年10月、本州3社に遅れること約20年で上場を果たしたJR九州。会社の存亡をかけて非鉄道事業に挑み続けた歴史から、JR各社が学ぶものは多い。

試行錯誤を続け多様な事業を育成
●JR九州の業績と事業の多角化の歩み

 2016年9月。JR九州の唐池恒二会長は米・ニューヨークに向かっていた。時を同じく青柳俊彦社長は英・ロンドンへ。10月の東証1部上場を目前に控えて、海外の機関投資家に事業を説明するためだ。

 大都市をカバーするJR東日本や西日本、東海といった本州3社が1990年代に上場を果たしてから、約20年が経過している。久しぶりの鉄道会社の上場であり、投資家たちからはその経営手法に注目が集まった。

 「JR九州は事業の多角化が特徴だというが、他のJRとの違いは何か」。こう尋ねる投資家に唐池会長は答えた。「危機感から来る本気度が違います」。

最初の10年は何でも挑戦

 JR九州は、民営化当時、厳しい状態でのスタートを余儀なくされた。87年度、売上高が単体で1298億円、営業損益が288億円の赤字だった。

 民営化の前年、九州地区に2万6700人いた職員を削減し、JR九州は1万5000人でスタートした。ただ、このうち3000人が余剰人員だった。「社員を食べさせていかなければという危機感から、鉄道以外の事業を伸ばすため必死だった」と青柳社長は話す。

 JR九州の発足時に与えられた「経営安定基金」は3877億円。年間の運用益、283億円で赤字をカバーする算段だった。当初は金利が7%台だったが、その後、低金利時代に突入していく中で、支援に頼らずに、会社として稼ぐ力をつけることが、死活問題となっていったのだ。沿線人口の少ない路線を多く抱え、鉄道事業の経営は歴史的に苦しく、多角化事業で稼げるようになることが不可欠だった。

 だが鉄道以外の事業といっても、JR発足当時は国鉄時代から始めていた外食店を運営する程度だった。そこから、旅行業、不動産賃貸、広告業などを展開し始め、現在稼ぎ頭となっている分譲マンションや宅地開発、ホテル運営、ドラッグストアなどと領域を広げていった。87年度当時は売上高の2割未満しかなかった非鉄道事業は、2015年度で6割を超えた。

 多角化が順風満帆だったわけではない。むしろ試行錯誤の連続で、失敗から学んできたのだ。大規模投資の末に減損に陥って撤退した事業も少なくない。自動車販売の代理店「ユーノス」やスーパー銭湯「極楽湯」などのレジャー事業も手掛けたが、収益が上がらず、いずれも撤退している。

 「最初の10年はうまくいかなくても物まねでも、とにかく自分たちの手でチャレンジした。次の10年で進むべき方向性が見えてきて、残りの10年でそれが花開いた」と青柳社長は振り返る。