打席ではバットを構えず、守備もザル。時に大事な判断を誤ってしまう。日本という広きフィールドで失策を重ねる、チーム経産省の問題点を探る。

(写真=吉田 健一 イラスト=どいせな)

 EV(電気自動車)の販売台数を2025年までに年300万台に引き上げる──。

 昨年、世界大手の独フォルクスワーゲン(VW)がぶち上げた目標に世界が驚いた。300万台は同社の世界販売台数の25%という高い水準だ。

 VWは2015年にディーゼル車の排ガス不正問題が発覚。VWは制裁金やリコールなどの費用として182億ユーロ(約2兆1780億円)を引き当てたばかり。「市場の厳しい目をそらす煙幕ではないか」。そんな見方もあったが、彼らは本気だった。

排ガス不正問題を契機に、フォルクスワーゲンは電動化へ大きくかじを切った(写真=ロイター/アフロ)

 今年1月、独北部ヴォルフスブルクの本社で取材に応じたVW社CTO(最高技術責任者)のウルリッヒ・アイヒホルンは「EV量産に不可欠な電池の性能向上に関する新たな投資を決めた」と述べた。研究開発費だけでなく、技術者もEV関連に集中させる考えだ。

 「メルセデス・ベンツ」を傘下に持つ独ダイムラーも2月、2025年までにEVなど電動車両分野に総額100億ユーロを投じる計画を明らかにした。

 民間企業と前後して独政府も動いた。昨年5月、電動車両の購入補助制度を導入するとともに、官民でEV普及のために10億ユーロの基金を創設。2020年までに延べ約1万5000カ所の充電ステーションを整備する計画を打ち上げた。

 排ガス不正後にCTOに就任したアイヒホルンの前職は、政府との折衝を手がける業界団体、ドイツ自動車工業会のマネージングディレクター。官民があうんの呼吸でEVシフトの戦略を次々と打ち立てた結果、“山”が動いた。

 KPMGインターナショナルが2016年に世界の自動車関連企業幹部を対象に聞き取った調査で、2025年までの主要トレンドについて「EV」と答えたのは最多の50%。2年前の5倍に増え、EVが次世代自動車の主役に躍り出た。

 日本の自動車業界はどうなのか。ドイツとは対照的に悲愴感が漂い始めている。

 「信じていたものが裏切られた」。トヨタ自動車系部品メーカーの役員が昨年11月、機関投資家向けの決算説明会でこう漏らした。FCV(燃料電池車)の普及が当初計画通りに進んでいないことについての発言。直後に慌てて「と言えなくもない」と言葉を濁したところに、かえって同社の苦悩がにじみ出ていた。

 FCVは水素と酸素を反応させて電気を作る燃料電池を搭載した自動車だ。走行時に水しか出さないため「究極のエコカー」と呼ばれ、トヨタを筆頭に日本の自動車メーカーが世界をリードしている。

 経産省は2013年、FCVの普及を目指して「水素・燃料電池戦略協議会」を設立。自動車メーカーやインフラ会社が参加し、2014年には「2015年度内に水素ステーションを国内で100カ所整備する」という普及ロードマップも打ち出した。いわば「日本を支える次世代自動車の本命はFCVにあり」と判断し、大号令をかけたのだ。

ホンダも2016年にFCVを「投入」したが、市販はせず、リース販売する道を選んだ(写真=AP/アフロ)

 経産省の旗振りのもと、日本メーカーも動き出した。トヨタは2014年12月、世界初の量産型FCV「MIRAI(ミライ)」を発売。2016年3月にはホンダも「クラリティFUEL CELL(フューエルセル)」のリース販売を始めた。

 だが現状を見ると、FCVの普及ペースはあまりに遅い。デロイトトーマツコンサルティングが2014年11月に公表した予測では、FCVの国内販売台数は2016年までに累計3000台。かなり控えめな数字と言えるが、実際にはこの予測をさらに下回り、トヨタが2016年末までで国内約1370台。ホンダに至っては104台という低水準にとどまっている。

早すぎたFCV戦略

 クルマだけではない。FCVの普及と「ニワトリと卵」の関係にある水素ステーションも整備が遅れている。

 国内の水素ステーションは2017年1月時点で約80カ所にとどまり、「2015年度内に国内100カ所」とする当初の目標は達成できていない。経産省は設置費用や運営費を補助金で手厚く支援しているが、それでも「事業としては利益が出ず、厳しい状態」(JXエネルギー水素事業推進部長の佐々木克行)だ。

 2014年に策定した普及ロードマップでは、水素ステーションが事業として独り立ちする時期を「2020年頃」と定めていたが、2016年6月の改訂版では「2020年代後半までに」と遅らせた。「経産省の思いを受け入れる」(岩谷産業・常務取締役の間島寛)。いわば採算を度外視した“手弁当”の状況がまだ10年は続く。これでは企業の積極投資や新規参入は呼び込みづらい。

 VWのアイヒホルンは肩をすくめながらこう語る。

 「バックアップが必要な燃料電池はまだまだ未成熟で発展途上の技術。他国のことをとやかく言う立場にないが、最初から日本のFCV戦略がうまくいくとは思っていなかった」

FCV普及は計画より遅れている
●次世代自動車をめぐる最近の主な動き

 経産省が旗を振るFCVの普及が遅々として進まない中、主役の座を奪ったEV。急激な環境変化を受け、トヨタも動かざるを得なくなった。2016年末にEV事業企画室を立ち上げ、EVの量産に向けて検討を始めたのだ。

 「EVは乗っていて航続距離の不安がつきまとう。充電時間が長いのも面倒」(技術部門役員OB)と、あくまで本格参入に消極的だったトヨタ。会長の内山田竹志は今年2月の 記者会見でも「究極のエコカーはFCV」と強調した。

 だが、EVの量産検討は、ドイツの勢いに押され、方針の修正を余儀なくされたように映る。世界の自動車メーカーが当面の稼ぎ頭に据えることになったEVの開発で、トヨタは大きく出遅れることになった。

 では、4年前のあのとき。経産省はなぜ、普及に時間のかかることが分かっていながら、あえてFCVを次世代自動車の柱に据える判断を下したのか。

 「経産省は民間をサポートする必要がなかったため、長い間、世界のルールづくりに関わることをサボっていた」。ナカニシ自動車産業リサーチの中西孝樹代表は指摘する。

 2000年代中頃、好調な米国景気や円安を背景に、日本メーカーはこの世の春を謳歌していた。リーマンショック前には世界販売台数の3分の1を日系メーカーが生産し、各社は過去最高益を記録。好調な「民」を、経産省はただ傍観しているだけでよかった。

焦燥が判断を誤らせた

 だが、2010年に米国でトヨタの品質問題が顕在化。円高や東日本大震災の影響もあって日本勢の勢いに陰りが見え始めた頃、世界の自動車勢力図は塗りかわっていた。成長著しい中国市場がドイツ勢に占有されていたのだ。日本メーカーが好調だった時期、ドイツは官民がタッグを組み、水面下で精力的に動いていた。ドイツ政府は当時まだ新車市場としては小規模だった中国で政府高官に接触。ターボチャージャー(過給器)と組み合わせてエンジンを小型化するというドイツ勢の得意技術を売り込み、中国のエコカー助成金の対象車種採用を勝ち取った。

 昼寝中に追い抜いていった“カメ”の姿を目にして、経産省は焦ることになる。そこで飛びついたのが、日本メーカーが優位性をもつ燃料電池だった。「水素社会の実現がまだまだ先だということは分かっていた。が、世界の市場環境が大きく変わる中、どうしても柱が必要だった」。経産省自動車課の元担当者は当時の内情を打ち明ける。

 2011年に起きた福島第1原子力発電所事故も影響している。「原子力に頼れなくなった。FCVは、エネルギー安全保障という国家レベルの問題に“格上げ”された」と前出のトヨタ役員OBは指摘する。

2015年、首相官邸での「ミライ」納車式で記念写真におさまる安倍首相(左)とトヨタの豊田社長。政府がFCVの普及を強力に後押しする姿勢を印象づけた(写真=ロイター/アフロ)

 自動車産業に詳しい自民党議員は別の理由を口にする。「2020年の東京五輪・パラリンピックのタイミングで、日本としてはどうしても新しい技術を打ち出したい。それで水素に目をつけた」。2014年12月のミライ発売は、東京五輪の開催から逆算してギリギリのタイミングということで、経産省がトヨタに無理強いした面もあった。

 FCV戦略の難航は国内に限った話ではない。「エコカーは普及してこそ」というのがトヨタ社長、豊田章男の信条。実際にトヨタは中国で普及活動を試みたことがある。

 口説き文句は「石炭から水素がとれる」。発電量の7割を石炭火力に頼る中国に対し、石炭からコークスを取り出す過程で副次的に発生する水素をタダ同然で利用できるようになると持ち掛けた。だが「FCVの技術的なハードルが高すぎて中国側にそっぽを向かれた」(トヨタOB)。経産省は「優位性がある」とFCVに飛びついたが、逆に技術水準の高さがあだとなった格好だ。

 ある日系自動車メーカー役員は「水素社会のコンセプト自体は間違っていないと思う。ただあくまで数十年後を見据えたもの。意識が高いのは構わないが、実現を急ぎすぎるとガラパゴスになる」と冷ややかに語る。

 もちろん、FCVとEVが必ずしもゼロサムの関係にあるわけではない。EVの普及後にFCVの時代が訪れるかもしれないし、街中の短距離走行にはEV、都市間の長距離移動はFCVなど、用途別にすみ分けが進む可能性もある。

 それでも、経産省が焦りから性急な判断に走り、つまずいたことは否定できない。FCVから遅れること2年、経産省は2016年3月にEVの普及ロードマップを策定した。だが、かつて首相官邸で首相の安倍晋三にミライのハンドルを握らせたような、世論づくりへの熱意は感じられない。

 次世代自動車レースでドイツの後塵を拝した日本の自動車産業に今、新たな脅威が浮上している。米国の貿易赤字を招く元凶として、日本車を狙い撃ちする大統領トランプの登場だ。

トランプ米大統領は「日本車たたき」で国内世論を味方につけようとしている(イラスト=塩井 浩平)

 保護主義的な政策を掲げるトランプはNAFTA(北米自由貿易協定)の見直しを示唆する。協定改定となれば、供給網の抜本見直しを迫られ、打撃を受けるのは必至。2月10日に開かれた日米首脳会談では、日本車への直接的な批判こそ出なかったが、今後、個別産業がやり玉に挙がる可能性がある。

 次世代自動車のつまずきには、経産省が民間と距離を置いていたために、判断材料が少なく、的確な方針を示せなかった面があった。経産省と自動車メーカーが連携を深めなければ、日本車を巡るトランプの不気味な姿勢に対応しきれないだろう。

成長分野特定に成功
課題は「他省庁」案件
●経産省が関わる主な産業政策の評価

 安倍政権の産業政策を総点検した野村証券日本経済担当チーフ・エコノミストの美和卓は「経産省は成長の伸びしろがある分野の特定に優れている」と指摘する。観光、インフラ輸出がその代表例で、大きな政策効果が生まれている。

 一方、苦戦を強いられているのが、シェアリングエコノミーや農協改革など他省庁が権限を持つ分野。「経産省がイニシアチブを取ろうとしても岩盤規制を突ききれず、最後は骨抜きになっている」(美和)。経産省が所管する中小企業分野も進展が見られない。業界再編に関する税制改正のメリットが薄く、競争力強化へのインセンティブが働いていないからだ。