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革新への道2
ダメな事業を捨て、強みを伸ばす
通信機器を備えた製品

 「ほとんどの事業が赤字じゃないか」

 14年9月、三寺歩氏は父親の跡を受け三ツ冨士繊維工業(現・ミツフジ)の社長に36歳で就任した。父親の頼みで外資系IT企業を退職して家業に戻ったのだが、事業の状況を調べるうちに愕然とした。大半の製品がもうかっていなかったからだ。家業は祖父が1956年に起こした西陣織の下請け工場。父の代に抗菌靴下やパソコン用の電磁波防止エプロンなど、特殊分野の衣料品製造に転換していた。

 しかし、メーカーへのOEM(相手先ブランドによる生産)供給で一時的に生産量が増えても長続きしない。それどころか「メーカーがすべきサンプル生産まで大量にやっていた」(三寺氏)。もうかるはずはなかった。

 三寺氏は頭を抱えた。父から会社は破綻寸前と聞かされていたが、「これでは再建どころではない」。

 だが、さらに細かく調べるうちにふと気付いた。「(製品の素材に使っている)銀メッキ繊維自体に可能性があるのでは」と。微弱な電流を通せる銀メッキ繊維は抗菌など様々な用途に使われる。父は開発した米国のメーカーから1992年に日本での独占販売権を得て、さらに改良を加え2001年に自社でより高機能なものを作っていた。

 競争力はあるし、利益率も高かった。これに特化して需要のある用途を見つけられればと考えたのだ。14年9月、社長に就任するとすぐ、センサーに銀メッキ繊維を使っていた電機メーカーなどを回って新用途の可能性を聞き続けた。そんな中で見つけたのが肌着などに使い、心拍や呼吸などを計測する健康関連用途だった。

 「いける」。そう直感した三寺氏は、新たな用途に使えるように導電性の向上など銀メッキ繊維の改良に取り組み、2016年1月、満を持して新しい銀メッキ繊維を発表した。ところが、売れない。急いで調べてみると、シャツに銀メッキ繊維を織り込んで、計測したデータを飛ばす通信機器などを組み合わせるのが難しいことが分かった。そのため、最終製品となる衣料を作るメーカーがなかったのである。

 そこで三寺氏は決断した。技術者を採用し、通信機器メーカーと共同で機器を開発。アパレルメーカーなどと衣料品を作り出した。とはいえ、もともと破綻寸前で資金はない。悩んでいたころ、建設会社から製品の開発状況に問い合わせが続いた。建設現場の従業員が作業中に体調不良で事故を起こさないよう対策に迫られていたためだ。「ニーズの強い企業ならひょっとして」と考えた三寺氏は思い切って出資を依頼、開発資金の確保に成功した。

 以後も同様のニーズを開拓し続けて業績は劇的に回復。18年12月期の売上高は三寺氏の社長就任前の30倍、9億円を見込むまでになった。

可能性のある技術に特化した製品開発で再生
●ミツフジの歴史と三寺歩社長の改革
出来事
1956年故・三寺冨士二氏が西陣織の帯下請け工場(その後、三ツ冨士繊維工業に)を創業
76年布団カバーなどのレースや服飾雑品などの生産を始めた。帯生産は80年代に停止
85年長男の康廣氏が2代目社長に
2001年米国の銀メッキ繊維メーカーから1992年に独占販売権を得る。2001年に自社技術を使った同繊維を開発するも、他の事業の不振から12年ごろには破綻危機に
14年外資系大手IT企業に勤務していた歩氏が戻り、社長に就任。導電性の高い銀メッキ繊維に事業を絞る
15年銀メッキ繊維を使い、心拍や呼吸などを計測できるシャツなどを開発。体調不良による業務中の事故などを防ぎたい建設、物流など多様な業種に広がった
特徴

2代目である父の代に抗菌靴下やレースなど様々なものを作ったが利益を出せなかった。現社長の歩氏はその中で可能性があるとみた銀メッキ繊維に絞り、新商品を開発して成功した


日経ビジネス2018年11月19日号 48~53ページより目次