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革新への道1
事業と会社の仕組みを作り替える
(写真=太田 未来子)

 「もうそろそろ会社をたたもうかと思っとるんや」

 03年春、大阪市でバイクや自転車、自動車などの部品販売会社、鶴橋部品を経営してきた父親からそう知らされた時、実家を出てITベンチャーで働いていた村井基輝氏は言葉に詰まった。祖父が創業して以来半世紀、地元の自動車ディーラーや修理工場向けに商売をしてきたが、少子化、高齢化とともに市場は縮小。特段の対策を打たなかったせいで業績は赤字になる寸前だった。父は潮時と感じたのだ。

 だが、村井氏は思った。「じいちゃんの会社を潰したらだめだ」。汗にまみれて会社を育てた祖父への思いが踏みとどまらせたのだ。

 とはいえ、5人いた従業員は一番若くて55歳というほど高齢化し、パソコンは事務所に1台あるだけ。エアコンもない。いい条件はどこにもなかった。

 村井氏はむしろそこにピンときた。当時、28歳。勤務していたITベンチャーは毎月100時間以上も残業していた。それだけ働いても「業績は赤字」(村井氏)。それに対して実家の会社は、時が止まったような働き方で非効率の固まり。「経営の仕組みを変えれば、絶対利益は出せる」とみたという。

 バイクなどの部品流通は、中国や台湾に多いメーカーから2~3段階の商社、問屋などを経て鶴橋のような販売会社に至る。まずそこにチャンスがあると考えた。狙ったのは仕入れと売り方を変えてもうかる仕組みを作ること。自ら中国、台湾のメーカーを探し、直接仕入れをした上で、バイク販売店や修理工場向けにネット販売するビジネスモデル作りに乗り出した。とはいえ中国語を話せる社員すらいない。「会社近くのコンビニエンスストアのアルバイトや語学学校教師の中国人を口説き落とした」と体当たりで壁を突破し、05年には別会社としてカスタムジャパンを設立。プロ向けECサイトも立ち上げて、販路を開拓していった。

 あわせて流通改革と販売増を見越した大量仕入れでコストを抑え、販売価格を従来より10~20%下げた。カタログ販売も併用することで着実に浸透させていった。直近の売上高は設立時(約3億円)の10倍超に拡大。従業員は100人に達するところまできた。

複雑な流通を簡素化して事業を再構築
●カスタムジャパンの歴史と村井基輝社長の改革
出来事
1954年初代の故・村井吉夫氏が大阪市にバイク、自動車部品販売、鶴橋部品(現・日本モーターパーツ)を創業
93年長男の達司氏が2代目社長に就任。80年代から自転車部品販売も
2003年3代目に当たる基輝氏が入社
05年基輝氏が別会社でカスタムジャパンを設立。バイク、自転車、自動車部品のネット販売を始める
18年カスタムジャパンの売上高は設立時(約3億円)の10倍超に拡大。黒字経営を続けている
特徴

基輝氏がバイクなどの部品流通の複雑さに着目。中国、台湾などに集中するメーカーから仕入れ、日本のバイク・自転車修理工場などに販売するEC事業で急成長


日経ビジネス2018年11月19日号 48~53ページより目次