現金が欲しいときに下ろせない「現金難民」が地方の課題になりつつある。地域経済の低迷や長期化する低金利による収益悪化をうけ、金融機関がATM削減に動き始めたからだ。キャッシュレスが喧伝されても、日本の決済はなお現金が主流。ATMを補完する新たな手段は定着するか。
八丈島で始まったキャッシュアウトサービスは、銀行口座の預金をスーパーや飲食店などの店頭で引き出せる(写真=八丈島の風景:Kaoru Hayashi/Getty Images)
午後5時45分に会社の終業時刻を迎えるや否や、猛ダッシュでバイクに飛び乗る。向かう先は勤務先近くにある銀行のATM。口座から当面の生活費を下ろせたら、ほっと胸をなで下ろす……。東京・八丈島に暮らす長田麻耶さん(20)にとって、これが今年夏までの当たり前の日常だった。
最盛期に1万2000人を超えた島民は7500人まで減り、一部の金融機関は営業体制を縮小。島内のATMは地元信用組合やゆうちょ銀行、出張所を置くみずほ銀行などの8台まで減った。平日でも全て午後6時には稼働を終え、都会なら当たり前のコンビニエンスストアもない。
ATMでなくても現金を受け取れる
●キャッシュアウトサービスの利用の流れ
スーパーやホテル、タクシーなど
キャッシュカードを専用端末に通す
希望金額を指定、カードの暗証番号を入力
希望金額を指定、カードの暗証番号を入力
事業者の保有している現金を受け取る
島にはクレジットカードや電子マネーを受け付けない商店も多く、現金がなければ買い物はできなくなる。ATMの終了時刻に間に合わなければ、その日の夕飯すら危うくなりかねない。だから「仕事を終えた夕方は、いつもバタバタでした」と、長田さんは話す。
7月中旬、その「バタバタ」は過去のものとなった。消費者が銀行口座に預けたお金を小売店などで引き出せる、「キャッシュアウト」と呼ばれる新サービスが始まったからだ。英国などでは一般的なサービスだが、日本では2017年4月の規制緩和により解禁。八丈島では地元スーパーやホテルなど5つの事業主が対応した。国内ではイオンが一部店舗で導入しているほか、東京急行電鉄が券売機を使ったサービスを検討しているが、地域ぐるみでの取り組みは八丈島が全国で初めてだ。
利用するには、まずサービスを提供している店頭などでキャッシュアウトを使いたい旨を伝える。そしてレジの脇などに置かれている専用端末に金融機関のキャッシュカードを通して、引き出したい金額を指定。あとは暗証番号を入力し認証が完了すれば、店員からお店が保有している現金を受け取れる。多くのキャッシュカードには、決済した瞬間に保有者の銀行口座からお金が引き落とされるデビットカード決済機能が付いており、その仕組みを応用している。
長田さんが普段利用している「スーパーあさぬま」の場合、3万円を上限に、1000円単位で引き出せる。手数料は金額にかかわらず一律108円だ。銀行が閉まっていても、スーパーの営業時間内であれば利用できる。
ATM台数、減少の一途
導入のきっかけは観光客の不満の声だった。八丈島のATM環境を知らない観光客は「現金が必要になったら下ろせばいい」という感覚で訪れる。八丈島は年間を通して風が強く、雨も多い。飛行機も船もしばしば欠航し、延泊となれば手持ちの現金が足りなくなる。町役場や観光協会に寄せられるクレームも、ATMの少なさに関するものが目立っていた。
「金融機関には、もう長いことATMの設置をお願いしてきました」。施設内の飲食店でキャッシュアウトを使えるようにした八丈島空港ターミナルビルの髙木浩司専務が積年の苦労を語る。「(現金を扱うATMの運用に必要な)警備会社を自前で確保するなど力を尽くしたのですが、それでも『費用対効果を考えると難しい』と、首を縦に振ってくれなかったんです」。キャッシュアウトサービスの解禁は、まさに渡りに船だった。
「ところが予想以上に島民の方の利用が多かった」と、キャッシュアウトのサービス基盤を提供する日本電子決済推進機構の廣﨑善啓事務局長は話す。開始から9月末までの2カ月半、八丈島におけるキャッシュアウトの利用実績はのべ200件強。このうち観光客の利用と分かったのは約半分にとどまったのだ。関係者は当初、ATMの少なさに慣れた島民はあらかじめ引き出しておく習慣があり、現金で困っていることはないはずと考えていた。だが、実際には長田さんのように、島民にも根強いニーズがあったのだ。
決済サービスに詳しい野村総合研究所の宮居雅宣・上級コンサルタントはキャッシュアウトについて「決済需要のすき間を埋める存在になり得る」と指摘する。
銀行ATMは減少の時代へ
●ATMの設置台数の推移
注:一部キャッシュディスペンサーを含む 出所:全国銀行協会の「決済統計年報」
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