今年7月の配信以降、世界を席巻している「ポケモンGO」。極めて珍しい日米の協業が成功した背景に何があったのか。ポケモン育ての親の一人、石原恒和ポケモン社長が語った。

<b>ポケモン社長。コンピューターグラフィックス作品の制作などを経て1995年、ゲーム企画会社のクリーチャーズを創業。任天堂、ゲームフリークと共同で「ポケットモンスター」を開発し、96年に発売。以降、ポケモン全作品のプロデューサーを務める。98年には上記3社を中心にポケモン関連のグッズ販売やブランド管理などを手掛けるポケモン(当時の社名はポケモンセンター)を設立、社長に就任し今に至る。</b>(写真=陶山 勉)
ポケモン社長。コンピューターグラフィックス作品の制作などを経て1995年、ゲーム企画会社のクリーチャーズを創業。任天堂、ゲームフリークと共同で「ポケットモンスター」を開発し、96年に発売。以降、ポケモン全作品のプロデューサーを務める。98年には上記3社を中心にポケモン関連のグッズ販売やブランド管理などを手掛けるポケモン(当時の社名はポケモンセンター)を設立、社長に就任し今に至る。(写真=陶山 勉)

 「僕の中では去年の9月の発表で役割は半分終えたと思っています。あとは、現場で活躍された方が出た方がいいですから。あんまりその、社長が話してもつまらないじゃないですか」

 ポケモン(東京都港区)の石原恒和社長は、7月の「ポケモンGO」配信以降、メディアの前に姿を見せなかった理由をこう話す。しかし、石原社長なくして20年前に初代「ポケットモンスター(ポケモン)」が世に出ることもポケモンGOが生まれることもなかった。

 ポケモンGOが前人未踏の記録を次々と打ち立てたのは周知の通り。配信後約2カ月で5億ダウンロードを達成し、5億ドルもの収益を得た。

 その威力は桁違いだ。ゲームに関心がなかった層を呼び込み、課金に対するハードルを下げた結果、ゲームを中心とするアプリ業界全体が市場拡大の好機と沸いている。DOCOMO Digitalの調査によると、ポケモンGO配信以降、それまでのトップ4のゲームアプリの売上高は合計で10%伸びたという。

 そうしたモバイルアプリ全体にも影響を及ぼすほどのヒットは、石原社長の「慧眼」のたまものと言える。

<b>米ナイアンティックが開発・配信するゲームアプリ「ポケモンGO」。画面は仏パリ市内の「ジム」。ポケモン同士を戦わせることができる</b><br/>注:*1は米ナイアンティック、*2は英ギネスワールドレコーズが公表。*3は米調査会社アップアニーの推計(写真=Chesnot/Getty Images)
米ナイアンティックが開発・配信するゲームアプリ「ポケモンGO」。画面は仏パリ市内の「ジム」。ポケモン同士を戦わせることができる
注:*1は米ナイアンティック、*2は英ギネスワールドレコーズが公表。*3は米調査会社アップアニーの推計(写真=Chesnot/Getty Images)
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 ポケモンGOは米グーグルのエンジニアたちが中心となって独立したナイアンティックというベンチャーが開発と配信を手掛ける。このベンチャーのメンバーを見いだし、開発に「GO」を出したのは石原社長に他ならない。

 その石原社長が今回、日経ビジネスの取材に応じ、日米の協業を成功に導いた「鍵」を自らの視点で語った。

 「取材をするなら、ぜひ野村君と一緒に」。まず石原社長が強調したのが、ナイアンティックでポケモンGOのプロダクトマネジャーを務める“日本人”、野村達雄氏の存在である。

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