1971年、ニクソンショックを機に「円切り上げ」が現実のものとなる。当時の基幹産業だった造船や繊維は大変革を余儀なくされた。日本経済に今も続く「円高恐怖症」は、ここから始まった。

1971年12月中旬、日本の大蔵大臣、水田三喜男はワシントンで米国の財務長官、ジョン・コナリーと数度にわたって向かい合っていた。

 会談の場は世界最大級の博物館を管理するスミソニアン協会本部。ロマネスク様式とゴシック様式を組み合わせた建物は、その重厚さから「キャッスル(城)」と呼ばれ、荘厳な雰囲気が辺りを圧していた。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り4959文字 / 全文5259文字

【春割/2カ月無料】お申し込みで

人気コラム、特集記事…すべて読み放題

ウェビナー・音声コンテンツを視聴可能

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「SPECIAL REPORT」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。