商社から、段ボールの名付け親が創業したレンゴーに転じ、改革の旗を振り続けて18年。業界再編の必要性を説き、中小事業者の「セーフティーネット」を自任する。トップは長く続けるべきが持論。次のトップにもその覚悟を問う。
(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

問 1962年に住友商事に入社し、「最初は弱い部署がいい」と希望されて、紙・パルプ事業部に配属になったとか。なぜ、弱い部門を希望したのですか。
答 当時の住友商事は鉄鋼分野に強い商社でしてね。配属希望を聞かれ、出来上がったところにいくより、弱くてもこれから強化していくところで働きたいと答えました。
住友商事本社には3カ月しかいなかった。住友とは何か、といった教育を受け始めたころ、のちにレンゴーと合併することになる摂津板紙(後のセッツ)への出向辞令が出ましてね。新入社員の出向は住友商事が始まって以来で、みんなびっくりしていましたよ。私としては、商社に入れば海外に行けると思ったんですけど。まあ、与えられた仕事はやっていこうと考えました。
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