「ホンダから革新が生まれない」。そんな言葉を聞くようになって久しい。自動車業界の合従連衡が続く中、取り残されているようにも見える。社長就任から1年半。ホンダをどう変えようとしているのか。
(聞き手は 本誌編集長 飯田 展久)

グローバルモデルの強化が6極体制の次の進化。
燃料電池車のインフラではトヨタと一緒にやりたい。
問 社長就任から1年半がたちました。「ホンダらしさ」「八郷らしさ」はどのように表れていますか。
答 ホンダというのは一人が独創的に引っ張ることもありますが、力を合わせて夢に向かっていく企業です。だからこそ『チームホンダ』が重要です。社内をもう一度、自由闊達な組織にしたい。一朝一夕ではできませんが、少しずつ一体感が出てきました。
問 伊東孝紳前社長は、「部下との議論が過熱するのが日常茶飯事」という話をしていました。取締役の大半が交代し、役員同士の議論はどう変わりましたか。
答 取締役の6人で少なくとも月に1回は昼食会を開いています。『ワイガヤ』ではありませんが、いろんなことを話し合っています。時には文句を言ったりもしますよ。本社10階にある大部屋役員室での会話も増えました。
就任当時から、私は『調整型』の社長だと言われてきました。そういう意味では、話ができる環境は出来上がりつつあります。やはり何事も1人ではできませんから、役員の一体感というのは大事ですね。社員全員と話すのは無理なので、私が役員や部長、室長と思いをどう一緒にできるかが重要だと思っています」
問 世界の6地域の主体性を重んじる6極体制を進化させる方針を掲げています。地域ごとの商品戦略が行き過ぎて開発体制にひずみが生じたとの指摘もあります。「進化」の方向性は。
答 6極体制を強化したのは2008年のリーマンショック後からです。それまでホンダは北米事業を中心に展開していました。そのため、北米一本足打法で、脆弱だと言われ続けていたのです。
それを、アジアや中国を強化しながら、極ごとに開発や購買、生産をできる限りやろうということで、地域特有のクルマを発売しました。日本では私が鈴鹿製作所にいた時に軽自動車『N-BOX』を立ち上げました。同じように、米国では『パイロット』などのライトトラック、アジアでも『ブリオ』などの地域専用車を出しました。そこまではうまくいったのかなと考えています。
ただ、それぞれの極が全部をできるわけではないので、どうしても日本の支援が必要になります。その結果、日本の生産や研究開発部門に若干、身の丈を超えたところがあった。
我々にはもともと『フィット』『ヴェゼル』『シビック』『アコード』『CR-V』といった世界戦略車があって、これが全体をけん引しています。ただ、6極体制になってややもすれば地域専用車に重きを置きすぎる傾向がありました。
私も当時は中国にいましたが、やはり地域のことを優先的にやってしまうんですね。それをもう一度、世界戦略車を強化しようというのが、現在取り組んでいる進化です。
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