最初の就職先を辞め、華為へ

 問 当時の華為は創業したばかりで、まだ小さな会社だったと思います。なぜ華為に入ろうと決断したのですか。

 答 修士課程を修了した後、ある電力関連機関に採用されました。通信科という部署に配属され、NECの『NEAX61』という交換機2台の管理などを担当することになったのです。

(写真=山田 哲也)
(写真=山田 哲也)

 その時の上司は私に『しっかり仕事をしたら、数年後に海外に派遣する』と言いました。でも私は信じられなかった。この2台の交換機を一生、担当するのだと思い、とても我慢できないと感じてそこを飛び出してしまいました。

 その後、広東省の深圳に行き着きました。生活するためには仕事が必要です。そのころの華為は創業したばかりで、エンジニアを探していました。私はそこに加わったのです。

 華為では香港企業の交換機の設置や調整を任されました。でもしばらくすると、先ほどお話しした通り販売する機器がなくなりました。私はプロジェクトマネジャーに任命され、自前の交換機を開発することになりました。

 問 未経験者によく任せましたね。

 答 当時の私は数回しか電話をかけたことがありませんでした。それでも覚悟を決めてやるしかありません。数冊の本を買い、自分で学んだコンピューターの知識を使って、交換機を開発することにしました。その時は気づいていませんでしたが、コンピューター技術を通信分野に用いることが世界の潮流になっていました。知らないうちに正しい方向に進んでいたのです。

 問 現在のような規模になるとは思いもしなかったのではないですか。

 答 私は華為の5番目の従業員ですが、全く想像しませんでした。顧客の要求に応じて、製品の開発を続けただけです。その間に市場も拡大を続け、通信業界は一歩ずつ発展してきました。

 30年前は100人に1人しか持っていなかった電話を、現在の中国人は平均で1人1台以上持っています。

 問 確かに、中国ではものすごい勢いでスマートフォンが普及しています。

 答 日本も同様でしょう。携帯電話が登場した時は非常に高価だったので、限られた人しか使うことができませんでした。多くの技術革新の結果として、携帯電話が小型化し、価格も安くなりました。今ではサハラ砂漠以南のアフリカ諸国でもモバイル通信を使えます。

 先日、日本のカンファレンスで、世耕弘成・経済産業相やトヨタ自動車の内山田竹志会長、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長とご一緒しました。私はそこで、全てがつながり、情報を共有できるネットワークを作ることが、持続可能な開発や貧困の撲滅につながり、より良い教育の基礎を提供することになると申し上げました。

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