トップ就任後、大胆かつスピード感ある改革で危機を乗り越え、再上場を果たした。次なる目標、営業収益1兆円の達成に向けた布石を次々と打ち始めた。人口が減る日本でも、鉄道事業を核にした成長戦略は可能と言い切る。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=的野 弘路)
(写真=的野 弘路)
PROFILE
[ごとう・たかし]1972年、東京大学経済学部を卒業し旧第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。97年ごろ、総会屋利益供与事件で混乱した行内で真相解明に尽力した改革派「4人組」の一人。その後みずほコーポレート銀行副頭取などを歴任。2005年から有価証券報告書虚偽記載事件で上場廃止となった旧西武鉄道の再建に関わる。06年から現職。趣味はスキーとゴルフ。現在69歳。

所沢、池袋の魅力高めて沿線価値の向上を目指す。
品川再開発は、リニア開業を見据えメドつける。

 問 みずほコーポレート銀行から、経営再建のため西武に来たのが2005年。みずほグループの次期トップを期待する声もある中、西武に行ってほしいと言われた際、どんな気持ちでしたか。

 答 2004年10月に、有価証券報告書の虚偽記載で、グループ総帥の堤義明氏が全役職を退任し、同年12月には西武鉄道が上場廃止になりました。そうした流れの中、西武グループの信用状態は日に日に悪くなるばかりでした。みずほは、主力行としてこの窮状を何とかしないといけない状況でした。

 04年12月にみずほの首脳陣から要請を受けた際、傾く西武のつっかえ棒になれるのは自分しかいないと覚悟を決めました。はっきり言えば、他にできる人がいなかったのです。私は当時、銀行で鉄道会社を担当しており、西武のことをよく知っていました。

雷雲に突っ込んだ飛行機

 問 外部からは、やや特殊な会社という印象がありました。西武に来てトップに就いた頃は、社内で気を使いましたか。

 答 気を使うというよりは、まずは信用不安を一日も早く払拭しなくちゃいけない、という気持ちが強かったですね。信用不安から最悪の事態も想定されたほどでした。会社はまるで雷雲の中に突っ込んだ飛行機のようでした。下手をすると墜落しかねない状況です。とにかく太陽のある雲の上に急上昇しようと、改革の3本柱として掲げたのが『財務体質の改善』『収益力の強化』『ガバナンス体制の強化』です。

 稼げる事業に経営資源を集中するため、国内外にある167の事業所のうち、約70を売却、閉鎖するなどして再構築し、そのお金で当時1兆4000億円あった有利子負債を減らしました。そしてサーベラスなどのファンドをパートナーとした総額1600億円の増資を受けて、これを元手に残した事業の収益力を強化しました。

 鉄道、ホテル、不動産の各部門がビジネスモデルを効率よく追求できるよう、グループ再編にも着手しました。こうして06年に誕生したのが西武ホールディングスです。