大阪のB級グルメ「串カツ」のチェーン展開で2016年に上場を果たした。模倣されやすい飲食業界の中で、単品で勝負し追随を許さない。低い出店コストや業務効率化に加え、独特の接客スタイルで成長を続ける。

1989年:トヨタ輸送入社
1998年:個人事業で飲食業を創業
2002年:ケージーグラッシーズ(現・串カツ田中)設立。大阪でショットバーやデザイナーズレストランを運営する
2004年:東京都港区に京懐石専門店を開店
2008年:串カツ田中1号店開店
2016年:東証マザーズ上場
- 人気が出ると模倣され、お客に飽きられやすくなる
- 新業態がほしくなり強さが拡散する
2016年9月、私が経営する串カツ田中が東証マザーズに上場しました。東京・世田谷に串カツの専門店「串カツ田中」の1号店を出したのが2008年。今は全国に137店展開しています。

飲食店は競争が激しく、すぐに消費者に飽きられたり、ライバルに商品やサービスを模倣されたりします。串カツ田中が飲食店の“常識”にどのように向き合い、上場に至ったのか。私が経営で大事にしていることと併せてお伝えしたいと思います。
店舗名の「田中」は、副社長である田中洋江の亡き父親に由来します。田中は大阪の西成出身で、子供の頃から父親が作ってくれた串カツを食べて育ちました。その秘伝のレシピを基に、1号店を出店したのです。
私が飲食業界に入ったのは1998年、大阪にショットバーを開店した時からです。酒は一滴も飲めないし、飲食店の経験もありませんでした。当時はトヨタグループの物流会社で働きながら、休日にイベントを企画して運営することが楽しくて、自分で店を開こうと思い立ったのです。
しかし、今思えば私はただ好きなことをやっていただけで、企業理念もなければ、スタッフの将来なんて考えたこともありませんでした。
倒産寸前でレシピを発見
田中はショットバーで働くアルバイト第1号でした。売り上げは振るわず、来るのは知り合いばかり。そんな店の状態を見た田中に「このままでいいのか」と指摘され、心機一転、大阪の一等地にデザイナーズレストランを開業しました。グルメ雑誌などに取り上げられましたが、1年ぐらいで「こんなのは長くは続かない」と思うようになりました。
何十年も食べ継がれるものを作れないか──。懐石料理なら飽きられないと思い、長く続く店をコンセプトとして2004年に京懐石の店を東京に出しました。しかし、職人をマネジメントする経験がないこともあって苦労しました。リーマンショックのあおりを受け、大阪のレストランともども経営が立ち行かなくなりました。
一方、田中は昔から「串カツをメインとした店」をやりたいと思っていましたが、父親が既に他界していたため、串カツのレシピが分からない。私たちは色々な店の串カツを食べ歩き、数えきれないほどの試食を繰り返しましたが、思ったような味は出せません。
いよいよ倒産寸前で、田中が大阪に戻るために引っ越し準備をしていた時、探していた串カツのレシピが見つかったのです。作ってみたら本当においしい。最後にできる範囲で挑戦しようと出店したのが、串カツ田中です。
お金がなかったので、物件は居抜きで客席はパイプ椅子。場所も一等地ではなく、東京都世田谷区の世田谷にしました。広さは40m2余りに22席と小規模。厨房で必要な設備やレジはネットオークションで買い、自分たちで施工したこともあり、出店費用はわずか350万円ですみました。
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