運用資産130億円のカリスマ投資家が目を付けたのは、元は地味な医療機器商社。10年以上かけてメーカー機能も取り込み、「製造+商社」という二刀流モデルを作り上げた。内弁慶体質を打破すべく、今年から海外事業も強化していく。
埼玉県の戸田ファクトリー。工程では手作業が多い。最近はチーム対抗のカイゼン活動が盛んだ(写真=都築 雅人)
2016年、日経平均株価は5年連続で上昇したが、上げ幅はわずか80円66銭。膠着した株式市場の中、1年間に株価が4倍以上に跳ね上がった企業がある(株式分割の調整後)。日本ライフラインだ。AI(人工知能)やバイオテクノロジーのベンチャーでもない。医療機器を専門に扱う地味な専門商社だ。
専門商社としては異例の値動き
●日本ライフラインの株価
(株式分割の調整後)
注:2015年9月と2016年11月に株式分割
長らく割安な株価で放置されていた同社株が相場の話題をさらったのは2014年11月。大量保有報告書に片山晃氏(34歳)の名前が登場したからだ。片山氏はアルバイトでためた65万円を元手に日本株に投資し、約10年間で保有資産を130億円にまで殖やしたカリスマ投資家だ。
片山氏は「日本ライフラインが10年以上かけて作り上げた独自のビジネスモデルが花開く瞬間にうまく立ち会えた」と振り返る。今でも同社株を4%強保有しており、その高騰で昨年1年間で運用資産額は5倍以上に膨らんだ。
片山氏の投資スタイルは、上場企業約3500社から厳選した数社の株しか一度に保有しないというもの。十分なリターンを得た後も日本ライフライン株を手放さないのは、まだ成長の余地があると考えているからだ。カリスマ投資家がここまでほれ込むビジネスモデルとはいかなるものか。鈴木啓介社長の言葉を引きながら、同社の強みを検証してみよう。
商社としての物流拠点は羽田クロノゲート内にある。ヤマトグループが運営する国内最大級の物流施設だ
「利益後回しでも支店増やす」
1981年。医療機器の輸入商社に勤めていた社員22人が独立し、日本ライフラインを設立した。増本武司会長と鈴木社長も創業メンバーだ。
その際、元の商社から心臓ペースメーカーの国内独占販売権を引き継いだ。これが日本ライフラインの起点となる。海外メーカーの医療機器の販売権を獲得し、輸入した製品は代理店任せにせず自分たちで国内の病院に販売してきた。
ただし、単なる専門商社の域を超える強みを磨いてきた。まず、当初から心臓外科で働く医師とのパイプ作りに注力してきた。「利益は後回しにして全国に支店を増やしてきた」と鈴木社長が振り返るように設立10年足らずで営業拠点を全国8カ所に開いた。2017年1月現在、支店の数は36を数える。
1支店当たりの人員が異なるので単純に比較できないが、この数は国内の大手医療機器メーカーをしのぐ。患者の生命に直結する商品を扱うため、緊急時に営業担当者がすぐに病院に駆けつける体制を構築した。それが現場の医師に強く支持された。
次に、海外メーカーが日本で果たす機能を全て代行した。海外製品が日本で利用できるように薬事承認を得て、全国の病院への営業はもちろん、病院に滞留する製品の在庫リスクまで引き受けた。こうした戦略によって、日本に進出する海外大手も日本法人を設立せず、日本ライフラインに販売を任せるようになった。
一般的な商社は様々なメーカーの商品を取り扱い、顧客に提供する品ぞろえの豊富さで勝負する。だが、日本ライフラインは独占販売権を得る代わりに、1つの製品カテゴリーでは1社とだけ契約を結ぶ。1社と深く付き合う分、粗利益率は高くなる。
人工心臓弁や心臓血管の治療に用いるカテーテル、ガイドワイヤへと取り扱い商材を増やしながら、1990年代後半には「心臓疾患の医療機器では国内トップの輸入商社」(鈴木社長)という地位を確立できた。97年12月には東証マザーズへの上場も果たした。
順調に業績を伸ばしてきたが、上場後に転機が訪れた。主力製品の輸入元企業が同業に買収され、それに伴い契約が唐突に破棄されてしまったのだ。2000年3月期に244億円だった売上高は、翌年に176億円に急落した。
「現地法人の代行業」という立場は、輸入元との関係が安定していればこそ。相手の意向で契約が突然打ち切られるリスクが、上場後に顕在化した。
輸入商社なら取り扱い品目を増やせばリスク分散につながる。だが、日本ライフラインは、医療機器を自ら開発・製造する道を選んだ。1999年8月に研究開発拠点を立ち上げ、2000年10月には工場も設置した。そして2001年4月には早くも自社ブランドのガイドワイヤ発売にこぎ着けた。
鈴木社長は「海外メーカーはグローバルに売る製品規格になっている。日本市場に最適の製品を作ったら、自分たちにもチャンスはあると思っていた」と話す。頼りにしたのはこれまで築いてきた医師とのパイプだ。
横浜市立みなと赤十字病院の沖重薫・心臓不整脈先進診療科部長は「外資系メーカーに製品の改善を頼んでも対応してくれることはないが、日本ライフラインはこちらの要望を聞いてくれる。実際、日本人医師に使いやすい製品を作ってくれた」と評価する。
日本ライフラインのカテーテルを用いた手術風景。日本人の医師や患者に適した製品を輸入したり、開発したりして医療現場での信頼を高めてきた
「モノ作りは分からんから任す」
メーカーとして事業を展開しようにも、当初はモノ作りの経験者は社内にいない。鈴木社長は「私自身、製造や開発は分からない。だから中途で採用した若手に任せてきた」と振り返る。
モノ作りは転職組が引っ張る
●中途採用の人材が活躍する
増嶋克浩・戸田ファクトリー長(左)、高橋省悟・常務取締役開発生産本部長(中)、森謙二・リサーチセンター長兼開発生産準備課長(右)(写真=都築 雅人)
開発で中心的な役割を担う森謙二リサーチセンター長は、入社前に別の医療機器メーカー2社で開発経験を持っていた。3社目の日本ライフラインに入って感じたのが「自由とそれに伴う責任の大きさ」だという。
入社間もない2007年、30代だった森氏は、生産に必要な1億3000万円の装置の購入を申請した。即座に稟議が通った。「金型でも何でも開発に必要なものはすぐに認めてもらえた」(森氏)。
人材の採用も同じ。ある時、森氏は開発に欠かせない装置の操作にたけた技術者を日本ライフラインに入社させたいと考えた。その技術者は浜松市在住だった。それを知った鈴木社長は東京までの交通費や宿泊代を自ら負担し、技術者を社内の宴会に呼び、日本ライフラインに入社するよう口説いた。森氏は「社長にここまでされたら頑張るしかない」と意気に感じた。
こうした取り組みが実り、ヒット商品も生まれた。2012年10月発売の心腔内除細動システムだ。森氏が中心になって開発を進めた。社内では「オンリーワン商品」と呼ばれる、市場に競合が存在しない商品だ。売上高に占める自社製品比率は2011年3月期に3割だったが、5年後の2016年3月期には5割強になった。商社が製造業に進出するという“奇策”は成功した。
心臓循環器分野で高いシェアを握る
●売上高の内訳(2016年3月期)
商社機能にも引き続き磨きをかけてきた。その一つが営業力の強化だ。
日本ライフラインの営業担当者は業務範囲が広い。病院での営業活動にとどまらず、医師が集まる学会にも頻繁に顔を出し、医療現場のトレンドや次に輸入すべき製品情報を探る。時には営業が輸入元との契約交渉もこなす。取り扱い製品が病院で利用される際、手術室に入って製品の説明も買って出る。医師のニーズを現場から吸い上げ、開発陣に伝える役目も担っている。
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