大相撲の横綱・日馬富士が、巡業中の10月25日、鳥取市内の飲食店で、平幕貴ノ岩(貴乃花部屋)の頭を、ビール瓶で殴打するなどしてけがを負わせた。日本相撲協会が11月13日に公表した診断書には、「脳震盪、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」と記されている。

(イラスト=小田嶋 隆)
(イラスト=小田嶋 隆)

 当件では、暴行そのものとは別に、事件への対応の遅さが問題視されている。

 というのも、事件の翌日以降も、巡業が続けられていたからだ。その間、酒席に同席した力士や関係者は口をつぐんでいる。問題が表面化したのは、10月29日に貴乃花親方が警察に被害届を提出したからだ。仮に警察経由で事件化されることがなければ、日馬富士の暴行は、「なかったこと」にされたかもしれない。

 で、例によって「相撲協会の隠蔽体質」というお話が蒸し返されている。事件の経緯を一通り眺めてみてあらためて感じるのは、すべての要素があまりにもカタにはまっていることだ。実際、予想外の展開がひとつもない。

 コメンテーター諸氏が指摘している通り、今回の事件は、日馬富士という一人の横綱の個性だけで説明できる話ではない。過去に繰り返されてきた同様の出来事を振り返ってみればわかる通り、暴力の連鎖は、相撲という競技の「体質」に深く根ざしている。

 とはいえ、相撲から暴力性と隠蔽体質を取り除けばよいのかというと、話はそう簡単には進まない。

 というのも、相撲の魅力の大きな部分は、大柄な男たちの発動するシンプルな暴力性と、その暴力の神たる力士たちを無条件で服従せしめている伝統の根強さの中にこそあるものだからで、もし仮に大相撲から暴力と理不尽を消し去ったら、その民主的で開明的で透明性の高い競技には、何の魅力も残されていないはずだからだ。