イグ・ノーベル賞の扱いが年ごとに大きくなってきている。

 日本人の受賞が続いているからなのだろうが、とにかく、たいした出世だ。

 この賞が、日本で紹介された当初は、ゲテモノ扱いだった。アカデミー賞に対するゴールデン・ラズベリー賞と似た意味合いでの、一種のパロディーとして珍重されてはいたものの、単独の話題として番組にコーナーを立てるに足るネタとは見なされていなかった。

 それもそのはず、20世紀までの同賞は、「ダッチワイフを通した淋病の伝播に関する警告的な論文」(1996年・公衆衛生賞)のような、意図からしてふざけた研究に呼応するカタチのジョークみたいなものだった。しかも、そのジョークのうちの半分は、明らかにスベっていて、聞く者にむしろ困惑を感じさせるテのものだった。

 たとえば、94年の医学賞は、ヘビ毒を電気ショックで無力化する方法の効果(←無かった)を確認すべく、自ら実験台となってガラガラヘビに噛まれた患者の勇気に対して与えられているのだが、一見して明らかな通り、ここでは、愚かな受賞者への揶揄と嘲笑が賞の原動力になっている。

 また、96年の「平和賞」は、当時のフランス大統領ジャック・シラク氏に与えられているのだが、その受賞理由は
「ヒロシマの50周年を記念し、太平洋上で核実験を行ったことに対して」

 てなことになっている。この場合、授賞は、各方面に対して不謹慎極まるあてこすりだったということだ。

(イラスト=小田嶋 隆)
(イラスト=小田嶋 隆)

 ごらんの通り、イグ・ノーベル賞のかなりの部分は、そもそも賞を与える側が、受賞者を嘲笑するために企画されているもので、本来なら、もらった側が無邪気に喜んで良い話ではない。

 ところが、いつの頃からなのか、イグ・ノーベル賞の中には、
「研究者は大真面目に研究しているのだが、その手法や結果が、微妙なおかしみを醸すに至っているもの」

 や

「本来はガチな学問的研究であったものが、時代や環境の変化によって、笑えるお話に変質しているもの」

 が混入するようになってきている。

 2011年に、日本の研究者たちが受賞した「ワサビの匂いによる警報装置の研究」などが、それに当たるだろう。

 となると、受賞のニュースは笑って良いのか、はたまた祝福すべきなのか、でなければ、腹を立てるべきなのか、ひとつひとつ、判断が難しくなる。

 ところが、昨今、わがマスコミは、
「なんであれ賞は賞なんだから、とりあえずは祝福しておこうぜ」

 ぐらいな態度で対応しており、スタジオのコメンテーターはと言えば
「ユーモアのある賞なんだそうだから、ひとまず笑っておこうじゃないか」

 と反応し、受賞者は受賞者で
「真意はともかく、ここは感謝の意を述べておくのが無難だろう」

 てな調子でリアクションしている。

 もしかして、この種の反応の仕方、すなわち「ユーモアのネタになることと、ユーモアを発揮することの区別がつかない国民が、イグ・ノーベル賞の受賞を喜んでいる姿」こそが、最大の笑いどころで、われわれは、世界の笑いものになっているのかもしれない。

 でもまあ、他人を嘲笑する人間であるよりは、他人に笑いをもたらす人間である方が良いという考え方もある。

 笑って受け流しておこう。

(コラムニスト)

日経ビジネス2016年10月10日号 83ページより目次

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